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2007年06月03日

THE MACALLAN & ハイランド牛

 何処の蒸留所でも、見学時間は午前10時から夕方4時30分ぐらいの設定だけれど、12時から2時まではランチ休憩が入るので、わたしたちは、一日に2ケ所制覇することを目標とした。
 きょうの2ケ所めは、1824年、ザ・グレンリヴェットに次いでスペイサイド2番目の政府登録蒸留所として創業した『THE MACALLAN(ザ・マッカラン)』である。マッカランの品質の良さには定評があり、シングル・モルトのロールスロイスとまで言われているのだ。
http://www.whisky-distilleries.info/Macallan_EN.shtml

 A95を北上し、クライゲラヒーでエルギン方面へ通じるA941から折れて、B9102に入る。木立がとぎれると、まさに金色に輝くゴールデンプロミス種の大麦畑と、マッカランの看板が目に飛び込んできた。ここは聖コロンバの丘、夏の風が麦畑をやさしく撫で、ハイランド・キャトル牛が、チェッカーズみたいな前髪の奥からわたしたちを見つめている。ハイランド・キャトル牛は全体が金茶色、前髪の真ん中(前髪があるんです)、鼻にかかる辺りが一番長く、ふさふさと三角形に垂れている。床屋に行った訳でもないのに、なかなかスタイリッシュな牛なのである。いちおう、『ギザギザハートの子守唄』を song for you(ギュウ)してみたが、冷たい一瞥が返ってきたのみであった。

 ところで、「世界には自分に似たひとが、あと2人いる」なんて迷信めいた話があって、わたしはそういうのって、「ネス湖にはネッシーがいる」という話ぐらい本気にしていなかったのに、スコットランドのマッカランの駐車場で、とうとうわたしたちは彼等に出会ってしまった。
 駐車場でドアロックを確認していると、わたしたちの車の隣りに、メタリック・スカイブルーのフォードのフォーカスが止められていることに気づいた。
「あら良さま、わたしたちとおんなじ車よ。案外、日本人がレンタルしてたりしてね」
「その可能性が無いともいえないなぁ」
「あれぇ、マイケル・ジャクソン(ウヰスキー評論家です。歌ったり踊ったりはしません)のウヰスキー辞典があるわ、しかも日本語のよ」
おんなじなのはそれだけではなかった。
地図も、ミネラルウォーターの銘柄も、旅のおともの犬のぬいぐるみまで(!)、持ち物がみんなコピーしたみたいに一緒なので、サスペンスドラマのアリバイが成立しそうなくらいだった。
「どんなひとたちなのかしら?」
「犬のぬいぐるみに感情移入できる、ハートフルでウヰスキー好きな、日本人夫婦」
「それって、まるでわたしたちのことじゃない」
 斎藤夫妻は確かに犬のぬいぐるみに感情移入できる、ハートフルでウヰスキー好きな日本人夫婦であった。特に、スコッチ好きの夫は、恋愛時代から妻となる人にウヰスキーの味を覚えさせ、ハニームーンに絡めて蒸留所巡りをするほどの『熱狂的、計画的、ウヰスキーラバー』であることが判明した。
我々は一目会ったその時から、お互いを永遠の友達、ライバルと認めないわけにはいかなっかた。旅程もほぼ一致していたし、今回の件に関してはきっと二組でひとつというか、なんだか双子の運命のように、多くの部分でリンクするようバッカスが仕組んでいるように想えるのだ。齋藤夫妻もうすうす感づいていたに違いない。我々は、
「じゃ、後日、アイラ島のメインストリートで会おう」と、希望観測的なラフな約束をして別れた。

 さて、レセプションで予約を入れようとしたが、マッカランのツアーでは、ブレンダーによるちょっとしたセミナーも行うため、1回のツアーに10名しかエントリーできないので、休憩を挟んで2クール後になってしまうとのこと。ツアーはあきらめて、ティスティングのみとする。
 『THE MACALLAN 12years』、濃くて艶のある琥珀色。スパニッシュオークシェリー樽由来の馥郁たる甘い香り。キャラメルや蜂蜜、メイプルシロップなど、スィートな感じと、マカダミアナッツ、へーゼルナッツ、モカ~チョコレートのニュアンス。キャラメルコーンや、ハワイ土産のチョコレートなどを連想する。とにかくまろやかで、リッチで豊満。白ではなくアイヴォリー。ミルクではなくクリーム。カプチーノではなく、キャラメルマキァートという感じ。

 どうも良さんの購買意欲に火がついたようである。つい先程、『THE GLENLIVET 21years』を購入したのに引き続き、『THE MACALLAN 30years old』(ブルーの木箱入り)を購入。さてさて、良さんのウヰスキーお買い上げは、帰国時までに、何本になっていることでしょうか・・・。  

Posted by 夢大多亭 at 04:18Comments(3)TrackBack(0)

2007年06月16日

エドラダワーへの道

マッカランは短時間で済んでしまったし、今晩の宿泊先、パースまで距離をかせぎたかったので、次は『エドラワー蒸留所』を目指すことにした。『A95』から『A9』に抜け、国定公園のグランピアン山脈を大きく廻り込む、ロング・ドライブ・ルートとなる。
 ヒースロー空港のカウンターの青年が薦めてくれたとおり、モルト・ウヰスキー・トレイルは、カッスル・トレイルとかなり重りあう部分が多い。Ballindalloch Catsle(バリンダロッホ城)の標識を目にしたわたしとしては、ビューーーティフルなお城を、せかっくだからぜひとも観てみたかった。バリンダロッホ城はスコットランドでも5本の指に入る美しさだと、ガイドブックは褒め称えている。けれど、良さんはとにかく先を急ぎたいらしいのだ。わたしの希望は軽く受け流され、車のスピードは緩められること無く、お城の前を素通りである。
(あ~あ。ドライバーの良さんには申し訳ないけれど・・・、わたしは朝からティスティングを重ね、羊ばかり眺めていたので、眠くなってきちゃったなぁ。お城もパスされちゃったから、もう、ふて寝するもん)

 わたしが3時間後に目覚めると、このスコットランドの山麓の変わりやすい天候をくぐりぬけ、ロードレーサーの気分で車を走らせてきたのであろう良さんは、『サーキットの狼』の風吹のように、眼光鋭く寡黙になっていた。その、あまりに寡黙な沈黙の重圧に負けそうになったけれども、Blair Castle (ブレア城)の標識が見えたところで、わたしはもう一度お伺いを立ててみた。ブレア城は英国で唯一、私兵を持つことを許されている、スコットランドきっての名家であり、現公爵はスコッチ業界の精神的リーダーとしても名がある人物だという。(スコッチ絡みなんだから、気が向いてくれるかもしれない)・・・その提案も、あっけなく却下された。

 まもなく、Pitlochry(ピトロッホリー)の町へ。ピトロッホリーは古くからの保養地である。こじんまりとした可愛らしいショップが列なるメインストリートは、端から端まで歩いても10分ほどとのこと。(旧きよき時代の軽井沢は、きっとこんな感じだったかもしれない)
「それなら良さま、エドラダワー蒸留所はこの町から枝道に入って3マイルほどだから、帰り道にもう一度ここに立ち寄ってウインドウをのぞきたいなあ。エドラダワーで目的を達成したあとなら、OKじゃない?」
わたしは、しずかに、しなやかに、しぶとく、交渉を試みた。が、しかし、OKが出るよりも先に、わたしたちはエドラダワーにつづく『A924』の分岐点が見つけられず、迷子になってしまったのである。

 良さんの貴重な貴重な時間が刻々と過ぎてゆき、比例して、わたしがピトロッポリーを観光出来るかも知れない時間的余裕が消えてゆく。・・・二人の思惑は交差したまま、エドラダワーへの道は近くにありて、かくも、はてしなく遠いのであった。   

Posted by 夢大多亭 at 10:34Comments(3)TrackBack(0)

2007年06月17日

EDRADOUR

  細い農道がゆるやかにカーブした下り坂の、谷というよりは窪地に、エドラダワー蒸留所はあった。スコットランド最小の蒸留所なので、訪れる人も少ないであろうとの予想とはうらはらに、大型観光バスが何台も駐車してある。
 レセプションセンターでは、ドイツからの御婦人方御一行をはじめ(婦人会という感じ)、 フランス人やスペイン人のカップルが多く目につく。
 見学ツアーでは、 キャンピングカーで夏のヴァカンスを楽しんでいるという、ドイツ人ファミリーと一緒になった。運転疲れをほぐそうと、良さんが首をコキコキしていると、日本だったら小学3年生くらいの少年が、恐る恐る、しかし、好奇心をたたえた瞳で声をかけてきた。
「ねぇ、もしかして、お兄さんはブルースリー?」
たいていの中肉中背の東洋人男性は、海外に出ると、この質問を受けているはずである。
「アチョー!」と、ポーズのひとつやふたつとってやると、少年たちは、バナナを与えた猿みたいに、飛び上がって喜ぶのであった。

 エドラダワーの蒸留スタッフは、たったの3人で、これは1825年の創業以来守られている決まりなのだそうだ。もともとは農民たちが趣味でつくりはじめただけということで、すべてにおいてこじんまりしているし、作業そのものを楽しむ意味もあるのか、未だに器械に頼る部分はきわめて少ない。糟の排出作業などはそのいい例で、いまもってシャベルで掻き出し、リヤカーで運搬しているという。
 アンデルセンの童話の中に出でくるような、白い壁に赤いドアの小さくて可愛らしい建物は、そのドアが開いて赤ずきんちゃんがひょっこりあらわれても不思議はないほどである。
 もちろん生産量も最小で、一週間でわずか15樽のウヰスキーしか製造できないとのこと。通常の蒸留所だと600樽くらいなので、いかに小規模なのか、なんとなく察しがつく。
 ティスティングは『エドラダワー 10years』、「ザ・グレンリヴット」や「ザ・マッカラン」から、自己を確立した40~50歳代の熟年男性をイメージするわたしとしては、『エドラダワー 10years』は寄宿学校に入れられている、10代後半の少年を想い浮かべることが出来る。まだ何者にも成り得てない、そして何者にも成る可能性を秘めた、初々しい味わいである。年数を重ねたものを試してみたかったけれど、希少価値のせいか、ショップでも入手は出来なかった。
 
 しかし、ショウウィンドウの片隅に、展示物なのか売り物なのか、判断つきかねる代物があった。箱には『THE scotch WHISKY trail GAME(ザ・スコッチ・ウヰスキー・トレイル・ゲーム)』とあり、プライスの表示はあるが、埃っぽいし、色褪せてはいるし、他の商品のように、数多く綺麗に並べてあるわけでもない。まじまじと眺めているわたしたちの意を汲んで、ショップのスタッフが説明をしてくれた。
「その商品は、何年か前にいちど作ってみたんだけど、まあ、よっぽどの物好きしか買っていかないもんだからね。ヒットしなかったんだよ。だから、いまはもう作っていない。あれは最後のひとつだから飾ってあるだけさ」
 良さんとしてはお目当てのウヰスキーボトルが購入出来ず、うっぷんを感じていたのであろう。この話にとっさに目標を変更した。
「僕はスコッチウヰスキーを愛してやまない日本人です。バッカスに導かれて、はるばる日本からやってきました。日本を知っていますか?そうです、一番東の端っこの国です。そんな僕のために、この最後のひとつは神様が残しておいてくれたのです。現物でかまいません。どうかこの物好きに、ゲームを譲ってくださいませんか?」
「いや、こんなぼろぼろの商品に、値段をつけて売るわけにはいかないな。本当にもう在庫は無かったはずだが、そこまで言われるなら、念のため倉庫を見て来よう」
 10分後、彼はスコッツ独特の赤ら顔を、さらに紅潮させて戻って来た。
「なんと!なんと!退職した者のロッカーに、ひとつだけ…。本当にこれが最後だ。君は実にラッキーだよ(ウインク)。君には、確かにバッカスがついているようだな」
 齋藤君。さすがの齋藤君でも、このゲームは持っているまい。
 いわいる『すごろく』で、ボードにはスコットランドの地図とディストラリーが描いてある。まずはトランプのようなカードを引いて、クイズに答えるもので、そこには、正解した時、外れた時、それぞれの指示も書いてある。「MOVE BACK TWO(ふたつ戻る)」 「GO TO DISTILLERY(ディストラリーへ)」「TAKE A BOTTLE(ボトル獲得)」などがあって、はやく12本のウヰスキーを獲得した人が勝ちとなる。

 さあて、目的は達成された。ピトロッホリーの町に戻ろう、良さま。  

Posted by 夢大多亭 at 09:28Comments(2)TrackBack(0)

2007年06月23日

ピトロッホリーの町かどで

ピトロッホリーの町の『A924』に分岐するかどにあるフィッシュ&チップス(白身魚のフライ&フライドポテトのことです)屋で、名物である念願のそれをひとつぶんオーダーした。(ちゃんとそのようなものが存在する。日本の町なかに、鯛焼き屋やたこ焼き屋が存在するように)
 目の前で揚げたものに、ヴィネガーと塩を豪快に振って出してくれる。ひとつぶんは、約25cmのフィッシュが1ケ、プラス、その半分のが1ケ(つまり、1.5ケ)と、ひとかかえのフライドポテトである。フィッシュは、なぜ1.5ケなのか?フィッシュ&チップスを食す機会はこのいちどだけだったので、ほかではどうなのか比較研究出来ずに、疑問は謎のままである。
 さてさて、車を駐車場に入れ、フィッシュ&チップス片手に、メインストリートを散策しようと、意見がまとまりつつあったのに、今度は空いた駐車場がみつからない。
 そのうちに良さんが
「やっぱり先を急いだほうがいいんじゃないかな。」と言いだした。
(このストリートは往復で歩いても20分しか掛からないんだし、少しは「観光」もしたいじゃないの)
「ねぇ、ちょっとだけ、そのヘンに止めるわけにはいかないの?」
「駐車違反して、車を持って行かれたりしたら、とっても面倒なことになるんだよ。僕はドライブしてこの辺をウロウロしているから、フジコサン、ひとりで見てくるといい」
(ふん。20分の間に車が撤去されてしまう確率はいったいどれ程だというのか?ひとりでウロウロだなんて、定番のサランラップや歯磨き粉を買うんじゃないんだから!ふたりでそぞろ歩いて、ああでもない、こうでもないって、・・・それが楽しいんじゃないの!良さんは、エドラダワーで、ゲーム獲得の為に時間を費やしたくせに、わたしのためには、たった20分のウインドウ・ショッピングの時間さえ、割いてくれないってわけ?ふん)
「それで2人がはぐれたりしたら、それこそ面倒じゃなくて。何か他に良い方法は無い?」
「どんな方法が考えられる? それよりも、一刻も早くホテルにチェックインして、パブにでも行こうよ。どうしたって、駐車できる見込みはないんだからさ。観光地の土産物屋なんて、何処もいっしょだよ」
と、その時、いっぱいだった駐車スペースに空きが出来た。しかも、車の流れから見て、わたしたちにその気があれば、わたしたちが駐車するのが理にかなった、ベストポジションである。
「じゃあ、ここに駐車するから行ってくるといいよ」
(ふんッ!ふんッ!ふんッ!)
「さんざん水をさされて、気持ちが萎えでしまいました。 もう、いい・・・」
「この町に来ることは、もう無いかも知れないよ。行ってきたほうがいいんじゃない?」
(ふんッ!ふんッ!ふんッ!)
「観光地の土産物屋なんて、何処もいっしょだもの。はやくパースに着いて、パブに繰り出すことにするわ」
 交渉はこうして決裂した。交渉には20分の時間を費やした。すでにフィッシュ&チップスも冷めてしまった。犬も喰わない夫婦喧嘩とは、こういうものである。  

Posted by 夢大多亭 at 10:19Comments(2)TrackBack(2)

2007年07月01日

導かれて、パースの宿へ

国の宿泊スタイルは、おおまかに4タイプに分類できると想う。
①HOTELS
グローバルスタンダードなホテル
②BED & BREAKEFASTS
民宿的なものから、ファームハウス、カントリーハウスやマナーハウスなど、カテゴリーは広い。貴族の別荘を改装したものなども含まれる。田舎の大きめな一軒家で、家の中の一室に宿泊するので、ひと部屋ごとに間取りも内装も宿泊料も違う。
③GUEST HOUSES
都市部に多い、長屋的大型メゾネットタイプアパート(4階建てぐらいの、個人のお宅)のひと部屋を間借りする感じ。
④SELF CATERRING
コンドミニアム的なものからキャンプ場まで、自己管理で宿泊するタイプ

 今晩の宿泊先のゲスト・ハウスがあるパースの街まで『A9』にのって約25マイル、1時間の道程である。ふたりのあいだに会話が無いまま、時間は過ぎ去って行った。
 市内に入ったものの、ゲスト・ハウスの場所が解からない。この道路は郊外へ抜けるための幹線道路なので、街道沿いは車の販売店や大型日用雑貨店などが列なって営業していて、もしここに『ユニクロ』や『紳士服のコナカ』があったとしても、まったく違和感が無いだろう街並みである。
 良さんは車をジャガー販売店の店先に止め、地図を片手になかに入って行った。夫婦は困った時の結束が肝心である。そろそろ意地を張るのをやめて、関係の修復に努めるべき潮時であろう。
 となりの車の持ち主夫婦が戻ってきたので、わたしは住所のメモを差し出し、ゲスト・ハウスまでの道順を尋ねてみた。
「あぁ、その住所なら車で10分だけど、説明するとなるとちょっとばかり面倒くさいのよ。ねぇ、あなた、ご案内してさしあげましょ。貴女、わたしたちの車について来るといいわ」と言ってくれたのである。
(バッカスよ。わたしたちを見守り、導いて下さることに感謝します)
 わたしはジャガーのショウ・ウィンドウ越しにジェスチャーで、このグッド・ニュースを良さんに伝えた。車の座席に収まって、わたしたちは手を取り合って喜んだ。物事が良い方向に転換してゆけば、些細な喧嘩などすぐに過去のものとなるのである。

 この御夫婦のナビゲートのお蔭で、わたしたちはどうにかゲスト・ハウスに辿り着くことが出来た。裏庭の車止めでは、オーライ、オーライ。もしてくれた。車止めのスペースが狭いので、良さんが車の切り替えしに苦労していると、隣近所の住人も出てきて、ああするといいとか、こうするといいとか、アドバイスが飛び交い始めた。旅先で助けていただくということは、本当に嬉しい行為であり、その親切に心から感謝である。わたしたち日本人は、来日した人々に、 どれほどの優しさを持って接しているだろうか?
 皆さんの応援で、アットホームにチェックインしたわたしたちは、ウヰスキーボトルのせいですでにずっしりと重くなったトランクを4階まで上げ、やっと部屋に落ち着いた。やれやれ。日はまだ落ちてないけれど、もう夜の8時、さあ、さあ、パブに繰り出そう。  

Posted by 夢大多亭 at 11:31Comments(1)TrackBack(0)

2007年07月08日

パブヘ繰り出す

 英国のパブの誕生説にはふたとおりあって、ひとつは聖堂を訪れる巡礼者のために、修道院が簡単な食事を提供し始めたという説と、農家の主婦がビールをたくさん造って、村人や旅人相手に商売として始めたという説である。
 いずれにしても、パブ=パブリックハウスは、「英国のどんなカントリーに行っても、教会とパブのない村はない」と言われるほど、地域に密着した重要な社交場であり、その村の縮図である。シャーロックホームズだって、事件解決のために情報収集するときは、飲んだくれに扮装してパブに出向くのである。
 今晩のわたしたちは、簡単な夕食を取るためにパブに出向かなければならない。
 パークレーンゲストハウスのオーナーミシェルは、パース市内の地図を取り出し、お薦めのパブ4ケ所に『×』印を付けてくれた。いづれもゲストハウスから徒歩で10分以内で行ける範囲だ。
 その地図を検証すると『A9』はバイパスの役目をしていて、一路『A912』に入ってしまえば、市内は、じつはかなりコンパクトであることが解る。駅だってゲストハウスから徒歩5分と離れていない。市内の北側にはタイ川が流れており、そこでひと区切りだから、賑やかな界隈は1K㎡といったところである。
 わたしたちは町の散策をかね、いちばん遠くに付けられた『×』印のパブを訪れた。

 ところでスコットランドとはいえ、パブでの定番はビール。誰もが、贔屓の銘柄をパイントグラス(約570ml。日本の大ジョッキサイズ)でオーダーする。体格のいい彼らのことだから、それを豪快に飲み干すのかとおもいきや、たっぷりと時間をかけ、ゆっくりと飲み干してゆく。
 わたしは『OLD SPECKLED HEN』という銘柄の、たっぷりとコクがあって麦の甘さが感じられるテイストが気に入ったのだが、バーマン曰く
「マダム。これは一番ビターなテイストね」とのこと。
それは、我が青春を走馬灯のようにフラッシュバックさせ、胸の片隅にチクンチクンと痛みを与えるコメントであった。
(そうね。そういえば・・・二十歳の頃のビールはたしかに苦かった・・・)
  
 パブにはいろいろと魅惑的なメニュウがあるけれど、ここはシーフードが美味しいパブだとミシェルが言ってたはずである。
 メニュウに「スカンピ」をみつけて、わたしたちは東麻布のサルヴァトーレで供出されるようなものを想像した。スカンピ独特の、小さくて優雅なVサインの手はそのままに、半身に捌いて新鮮さとエビの甘味を生かし、さっとグリルにしたような一皿を。
 しかし・・・しかしそうだった。ここはサルヴァトーレでもなければ、陽気なイタリアでもなかったのだ。
 出てきたものは、エビのミンチをパン粉でこねてひとくち大に丸めたフライというか、コロッケというか、、、。
 はっきり言って素材が台無しである。まったくもってぶにょぶにょのウインナーを好んで食べている英国人が考えつきそうなものだ。
 付け合せにはこれでもかというほどの大量のグリーンピースとポテトチップス。
 わたしが通常一年間で摂取するグリンピースの量を一度の食事でクリアーである。大当たりのパチンコ台を想像してしまったのだから、あなたにもその量たるや、想像がつくことと想う。
 スカンピとグリンピースには何の罪もないけれど、わたしたちは、どうも不発な心持ちだったので、どちらからともなく
「次に行こうか・・・」というのは自然な流れであった。

 わたしたちは、ビールのネオンサインに飾られた若者の溜まり場ではなく、鄙びた場末の囲碁場のような、できるだけクラシカルな、ほんもののパブに出会いたかった。
 そしてそれは、「OLD HIGH ST(オールド・ハイ・ストリート)」の小さな広場近くにあった。
 客の大半は隠居生活に入ったと見受けられる大御所ばかり。BGMなど無く、彼等のしわがれ声と咳払いが高い天井にこだまする。革張りのスツールとカウンターは飴色に輝いている。
 ふらっとやってきて、カウンターに寄りかかりお小遣いをねだるハイ・ティーンの孫娘に、カウンターの老紳士が、新聞をたたみながら質問した。
「いったい、何処に行くんだい?」
「何処だって、いーじゃない」
「それじゃあ、お小遣いはやれないな」スツールを回転させて、カウンターに向き直る。
「えーっ、おじいちゃん、お願い。ねっ」飛び切りの笑顔をつくって、彼女のおねだりは続く。
「いやいや、そんな訳にはいかないよ。お小遣いが欲しいのなら、君には説明する義務がある」
そこへ、友達が彼女を迎えに現れた。
「お小遣いはやれないが、ビールを一杯ずつなら奢(おご)るがね(ウインク)」
 未成年の彼女達は、ブーイングを残して立ち去った。それから彼は、わたしたちにもウインクを投げてよこし、パイントをオーダーしたのだった。
 むむむむむ。なるほど。やはり、人生の多くの答えはパブにあるようだ。  

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2007年07月28日

Edinburgh(エジンバラ)

 パースから『M90』を南下、フォース湾にかかるフォース・ブリッジを渡って、Edinburgh(エジンバラ)に入る。
 エジンバラの街は、歴代スコットランド王の居城として、数奇な運命をたどってきた時代から、ずっと、標高135mの岩の上(キャッスルロック)にそびえ立つ巨大な城砦に守られたエジンバラ城を中心に栄えてきた。城のぐるりは断崖で、唯一ポリドール宮殿までつづく「ロイヤル・マイル」、つまり表参道に向けてのみ門が開かれている。いまでは軍の施設として機能しているため、城門には護衛が凛々しい姿で立っている。が、しかるに、観光名所でもあるので、彼等がフラッシを浴びる回数は日本のアイドル歌手並である。
 
 8月のエジンバラでは、約1ケ月にわたってサマーフェスティバルが開催され、伝統行事やイベントが目白押しなのだそうだ。特にエジンバラ城の場内で行われるミリタリー・タトゥー(軍隊のパレード)は圧巻とのこと。当日がまさにその日であったが、チケットを入手できるはずも無く、大砲に触ったり高台から市街を眺めたりエジンバラ城に伝わる「三種の宝器」のエピソードを聞いたりして、昔の栄華に想いを巡らせ、(ここにきてやっと)キャッスル・トレイル気分を味わったのであった。
 そしてまた土屋守氏の著書『スコットランド旅の物語』の第2章、「エジンバラ物語」の項を、城内に吹く風を感じながら読んだのだけど、それはまるで、西村京太郎氏の著書『能登半島殺人事件』を氷見のスナックで読んでいるような、妙な臨場感があって良かったです。

 エジンバラ城を背にロイヤル・マイルのはじまり、すぐ右手に、スコッチウヰスキー・ヘリテージセンターがある。わたしは、ウヰスキーに関する、総合案内所ぐらいに考えていたのだが、実はここも『卓越したワールドクラスの5星アトラクション』認定を受けており、レンガ造りの渋くて重厚な外観から受ける印象とはうらはらに、建物の中には「カリブの海賊・スコットランド版、ウヰスキー編」的アトラクションが用意されていて、わたしたちを再びスコッチウヰスキーの世界へと誘(いざな)うのであった。
 ツアーの最後にはもちろん、ティスティングがある。
 Glenkinchie(グレンキンチ)10年、Glenmorangie(グレンモレンジ)10年、
 Glendronach(グレンドロナッハ)15年、Isie of Jura(アイルオブジュラ)10年。
「あぁ、良さん。本当にごめんね。わたしが車の運転を代わってあげれたらいいのだけれど。貴方がいくら恨めしげに目を細めたって、こればっかりは・・・。せめて、この芳香を楽しんでね。ほ~ら。ほら。ほら」
「ふん。いいもんね。フジコサンは、そーやってくだ巻いて寛いでなさい。僕は1階のギフトショップに行って、幻のスコッチを探すから・・・」
「(!)待って。置いていかないで。良さま」
 スコッチウヰスキー・ヘリテッジセンターの品揃えは、ワインでいえば五大シャトーやDRC(かの、ロマネコンティ社)などからセレクトしました。という感じの王道の品揃えなので、とても簡単に入手できるものではないけれど、スタッフには日本語の上手な女の子もいたりなんかして、親切丁寧にアドバイスしてくれるので、清く正しい買い物をしたい人にはお薦めである。しかも各ディストラリーよりも1割~2割ほど安価だ。マッカラン蒸留所で求めた30年物も、こちら方が断然安価だったので、良さんは歯軋りをしながらマッカランの方角に向かって
「差額でもう1本ウヰスキーが買えたじゃないか!」と、悪態を吐いたほどである。

 さて、スコットランドウヰスキー聖地巡礼の旅に来た者達が、必ず立ち寄るショップがもう一軒ある。ロイヤル・マイルに面した、緑色の「ひさし」がトレードマークの、その名も『Royal Mile Whiskies(ロイヤル・マイル・ウヰスキー)』。スコッチだけでも400種類以上という品揃えは、もちろんエジンバラ一番で、スコットランドで造られているたいていのウヰスキーが並んでいる。店内はさほど広くは無いが、棚にはマニアックで、かつ数奇な履歴を持つボトルが所狭しと鎮座している。本好きなひとが書棚の前で長い時間を過ごすように、ロイヤル・マイル・ウヰスキーを訪れた人々は、そのラベルを眺め、ボトルがここに至るまでの長く過ぎ去った時間を想い、そしてまた、この日、この時、この場所の出会いに、啓示的な運命を読み取るのである。

 啓示を受けてしまった良さんを残し、わたしは密やかにお目当てだった、キルトファッション店「ジョフリー」を訪れた。
 タータンはハイランド地方のクラン(氏族)制度の確立とともに、ファミリーを表す家紋のもようなものとして普及していった。日常生活や、非公式の場で着る「ハンティング・タータン」と、正式な場で着る「ドレス・タータン」があって、なかでも日本の紋付、袴にあたるのは、「ハイランド・ドレス」と呼ばれるものである。ジョフリーは小物の他、女性や子供向けのスカートなど、一部既製品を置いてはいるが、メインは男性のオーダーメイド品であるから、店の奥には、生地を選んだり、採寸の最中だったり、ひだの指定をしてたりする紳士の姿が見受けられた。ちなみにキルトスカートは生地をたっぷり使用した、ひだの数が多いものほど、贅沢度合が高くなる。
 お店の人が見せてくれるさまざまなチェックの柄に、あれやこれやと目移りしたけど、じつのところ選択の余地なんて無かったのだ。いちばんタイニーなものが日本でいう9号サイズである。そして9号サイズのスカートは一点のみだったのである。(サイズが豊富なのは13号~15号です)紺色と深緑色の地に白と黄色のチェックが入った柄。うーん、なんだか、珍しくも何とも無い、日本でも良く見かける柄である。しかし、旅先での買い物には「買いどき」というものがある。「後で買えばいいや」なんて、なんとなく買いどきを逃してしまうと、行きずりのわたしに、同じものが巡りあって語りかけてくれる可能性はほとんどない。タイミングは大事である。こうしてわたしは、メイド・イン・スコットランドのキルト・スカートを購入するに至ったのである。
 
 ロイヤル・マイル・ウヰスキーのショウ・ウインドウへ戻ると、良さんはバッカスのお告げと「買いどき」とを見事に察知し、
『OAK PORT CASK MATURED 1967 GORDON&MACPHAIL』
『NATURAL CASK STRENGTH DISTILLED JAN.1967 JOHN MILROY』
『TAMDHU1967 CASK NO7 ADELPHI DISTILLERY LIMITED』の3本を入手していた。
 つまり、良さんの生まれ年に蒸留されたものである。35年という年月は、ひとりの男の子が、若白髪の青年に成長した時間でもあり、さらには、ボトルそれぞれの蒸留に関わった人たちが、すでにリタイア、またはすでに天国へ召されてしまっているかもしれない時間でもある。
 ウヰスキーとは、そのような男の夢と浪漫を、後世の者達にバトンタッチしていくタイムカプセルだとも言えるのだ。  

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2007年08月05日

庭の美しいB&B

 2001年の春先、ニッカ余市工場のマイ・ウヰスキーづくり体験に参加し、創設者・竹鶴政孝氏の「愛」と「夢」の圧倒を受け、わたしたちの意識は、次第に彼の軌跡を辿り、その起源であるスコットランドへ向くようになった。それからたくさんの本を手元に集めて読み漁った。英国に関連した書籍は数多いので情報にはこと欠かない。
 その中に、『庭の美しいB&Bに泊まる旅』というビジュアル本があった。この本は、特に手入れが行き届いた、美しい庭(庭というと、猫のひたいほどの日本の庭をイメージしてしまうけれど、英国ではガーデンまたはファームのことを指すので、「この窓から見える風景のすべてが、我々の敷地です」とおっしゃるほどに広い)を誇るB&Bをピックアップしたもので、写真が美しいだけにとどまらず、飼っている猫や犬について、部屋の調度品について、ブレックファーストについて、また、オーナーの家族構成や、経営理念、これからの展望について、など、細やかで丁寧な取材がなされており、それぞれの個性的な人柄までもがきちんと伝わって来て、「ぜひともそのB&Bの宿泊客になってみたいわ~」と、想いがつのる一冊である。

「ねぇ、ねぇ、良さま。このイースト・ロッホェッドっていう、B&Bに泊まりたいな」
 彼に差し出したのは、広大な庭を望むピクチャー・ウインドウのダイニングルームに、吟味された素晴らしい出来ばえの朝食が、まるでセザンヌの静物画のように、計算されつくされた構図で用意されているページだった。
 わたしはこの席につき、絞りたてのオレンジジュースをピッチャーから注ぎ、ゴクゴク飲み干す自分を想像してみる。それは、しばらく水遣りを忘れていた観葉植物に、久し振りに水を与えた時のように、起き抜けの身体の隅々にまで届いて、それだけで、生きている喜びに打ち震えるものであるに違いない。
 美しい季節に、美しい風景に自分が取り込まれて、気持ちのこもった食事をいただくこと。そんな完璧なシチュエーションは、日本人の平均寿命が延びたからといって、きっと、そうそうめったにあるものではない。
「良さまー。このB&Bに泊まって、このダイニングルームで、オレンジジュースとパンケーキとスクランブルエッグをいただきたいなぁ」
「えー、ゴホン(ひとつ咳払い)フジコサン。運転手のボクから言わせてもらうとね、現実的には、ウヰスキートレイルに沿った、移動の楽な宿でないとね」
「・・・・・・・」
ということで、わたしの広がりに広がった想像の翼は、いとも空しく、いとも容易く、バキバキバキと折れていくのであった。

 現実的に、冷静かつ堅実に検討を重ねる良さんの意見に従い、わたしたちが予定に組み込むすべての宿は『英国政府観光庁スコットランド観光局』刊行のガイドブックから拾い出し、一晩の滞在予定地につき、2、3ケ所の宿にメールを送ってみて、戻ってきたメールに込められた、オーナーの心意気を頼りに選択することとなった。旅の後半はアイラ島に移動するので、3日目にはその起点となるグラスゴー空港近くに、宿を取るべきだろう。
親切なスコットランド観光局のガイドブックには、「グラスゴー空港近くの宿」の案内記事も、もちろんあった。

『Country house standing in 25 acres of pasture.(25エーカーの牧場のなかに、カントリーハウスは建っております)
Spectacular views over Barr Loch and Renfrewshire hills.(バル湖やレンフリュシーアの丘を望む、目を見張るような、スペクタクルなビュウです)Glasgow Airport 15 minutes(グラスゴー空港から15分)
East Lochhead(イースト・ロッホェッド)』
http://eastlochhead.co.uk/homepage.htm
 
 ・・・ん?・・・んん?・・・んんん?・・・イースト・ロッホェッド!!!あ、あ、あ、あの、、、、!!!
 わたしの前向きな心は、強風に煽られて折れてしまった傘のごとく、心の隅にそっと立てかけてあった想像の翼を、大急ぎでテープで止め、割り箸で補強するのであった。
 予約の返事はすぐに返ってきた。

『We have a very nice room with twin beds(とってもナイスなツインルームが用意出来るわ)
and a beautiful view over the lake and large garden.(湖と広大なガーデンは、それはそれはビーティフルな眺望なの)
We look forward to hearing from you.(貴方たちとお会いして、お話し出来るのを楽しみにしているわ)Janet.(ジャネット)』
 
 どうだまいったか!夢は、強く想い続けていれば、必ずや叶うのだ!
  

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2007年08月26日

イースト・ロッホェッド

 エジンバラから『M8』を西へ走る。夕方のラッシュに巻き込まれたため、グラスゴー郊外まで3時間半かかった。混んでなければ2時間半ぐらいらしい。午後7時30分、イースト・ロッホェッド25エーカーのファームを廻り込んで、建物の前に車を止める。

 ポーチに人影はない。玄関のドアが全開になっているので、中に入って声を掛けてみるが気配がしない。無断でうろつくのも失礼なので、入り口のベンチに腰掛け、ふたりで「しりとり」をしていると、1台の車が勢いよく入ってきて、慣れた感覚でぴたっと止まった。わたしたちは立ち上がり、家人を迎える姿勢を整えた。長身の青年が車から降りて来た。
「はじめまして。日本から来ました、佐々木・・・」
「郵便でーす。ジャネットさんに渡しといて下さいね」
良さんが差し出した右手に、大小の郵便物が手渡された。そして呆気にとられているをわたしたちを残し、車は勢いよく去って行ってしまった。
 おつかいを頼まれたのだから、家宅侵入する大義名分は出来た。
「ジャネットさ~ん。いないんですか~。失礼しますよぉ~」
無断欠勤で一週間も会社を休んでいる同僚を訪ねるような気分である。
 サスペンスだと、ドアの鍵はかかってなくて、中で人が倒れちゃってたりして・・・って・・・。恐る恐る廊下奥のキッチンのドアを開いた。
(ぎゃああああ!!!)そこにはハサミを手にして、当の本人が立っていた。
「ははは、はーい!は、はじめまして、ジャネット。わたしたちは日本から来ました佐々木です。これ。郵便です。預かっちゃいました」
心臓の動悸を悟られないよう、務めてフレンドリーに挨拶をすると
ジャネットはカゴとハサミをテーブルに置き、手を洗って、手に汗握ったままのわたしたちの両手を、しっかり握った。
「あら、まあ。ありがとう!はるばる、ウエルカムね。だいぶ待ったんじゃなくて?裏のハーブ畑にいたものだから、気づかなかったわ・・・。ごめんなさい。さあ、荷物を入れて。お部屋に案内するわね」
 
 通された部屋は二階の角にあり、ジャネットが自慢していたとおり、遠近法で描かれた風景画のように、地平線の彼方まで、それはそれはスペクタクルなビュウであった。夜の帳に包まれてゆく前の、低い位置の西日が放つ煌煌とした光が景色の隅々にまで届いて、小さなディテールまで、はっきりと見て取れる、身に沁みる美しさである。さらに、25エーカーの広大なグリーンは、お部屋の、ローラア・シュレイ(イギリスを代表するデザイナー。婦人服、子供服の他、インテリア関連のファブリックも手掛ける)のペパーミントグリーンを基調とした壁紙に引き継がれ、清々しいグラデーションとなっているのだ。感嘆の声しか出ないでいるわたしたちに、ジャネットは何度も満足げに頷いた。

「ところで、あなたがた、夕食は済ませたの?」
「おぉ、ジャネット。実はわたしたち、お腹ペコペコなの。ダメでもともとで、お願いしてみようと、話していたところなの」
「そうね、いまからだと、フルディナーは難しいから、プチディナーでもいい?」(フルだと食べきれないはずである。プチでちょうどの量であろう、いい、いい)
「プリーズ」わたしたちはふたり揃って、キリストに祈りを奉げるマリアのように、指を組んで静々と頭を下げた。
「OK!(ウインク)一時間後くらいに、ダイニングに降りてらっしゃい」
 
 憧れのピクチャーウインドウ前のダイニングテーブルに、庭に望むように、ディナーの席がセッティングされていた。けして、高価で煌びやかな設(しつら)え、というのではない。物を長期に亘って大切に扱った結果もたらされる、手入れの行き届いた心地好さなのだ。家具はどれもみな年季が入っているけれど、磨きこまれており、埃がついた物などなにひとつない。ランプも銀の写真立ても、ピアノの上も、ぴかぴかである。(チェックの厳しいお姑さんだって文句のつけようがないだろう)お花だって、ひとつひとつの花の咲き具合と、葉の向き、色の加減を踏まえて、丁寧に活けられている。
 外は暗闇。わたしたちのテーブルは暖かいオレンジ色の照明にぼうっと浮かび上がった「能」の舞台のように、期待と緊張に満ちた静謐さの中にあった。
 プチディナーのメニュウは、庭から摘んできたいろいろな葉っぱと、ハーブと、お花のサラダ、スコティッシュサーモンのムニエル、フルーツカクテル。合わせて、ジャネット一押しの、無農薬の赤ワインを薦められた。
 無農薬ワインというと、「無農薬」へのこだわりにばかり重点が置かれ、味は二の次というイメージが強い。そもそも、緑の葉っぱがメインで、フランボワーズビネガーと、塩、オイルのみでいただくサラダに、ワインを合わせるというのは、むずかしいマリアージュ(組み合わせ)なのだ。お酢の酸は、ワインの繊細な味わいを壊してしまうものであるし、生の葉っぱが持つアクだって、難しい課題である。
 しかしわたしたちは、イースト・ロッホェッドのテーブルで、目から鱗のマリーアージュを体験することとなった。美しく健康的な土壌で育てられた葉っぱは、アクがあるどころか、ふわっとやさしくほろ甘い。フランボワーズビネガーは数滴に抑えられ、ギリギリのバランスで葉っぱとワインの香りを繋いでいる。そして、改めてワインは農産物なのだと認識されられるほど、ジュースの良さをそのままお酒に移行させた、果実味たっぷりで、ピュアで、素朴で、余計な工作の無いワイン。ボゥル一杯のサラダでをいただくだけで、ワインボトルの2/3が空いてしまった。
 軽くスモークされたサーモンは、表面はパリッと中はジューシーで、見た目のボリュウムとはうらはらに、すんなりとお腹に収まるものであった。

 傍らでサーブをするジャネットの話では、ファームは、春にはガーデンウエディングの会場となり、夏はキャンプをする家族や、合宿をする学生で賑わい、秋には狩猟のためのベースとなるのだという。
「わたしは何処にも出かけないけれど、世界中から、いろいろなひとがいらっしゃって、楽しい出会いがあるから、しあわせよ」
 それではと、わたしは、旅のお供の犬のぬいぐるみ、「パグ」をジャネットに紹介した。「パグ」は、3cm四方のポシェットを斜めがけしていて、その中には、彼の宝物、『紙に包まれた七つの仁丹』が入っている。
「オゥ!シルバー・パール!」笑い転げる彼女に
「それ、食べられるのよ。」とそそのかすと、一粒つまんで口に含んだジャネットは、やられたというふうに何度も目をぱちくりしばたき、「パグ」の頭を、ちょんとつついて
「なかなか・・・シブイ味ね」とコメントした。

 生活するということは、仕事に追われ、家事の手抜きをし、時間が無いからと、ジャンクでインスタントな食事をすることではないはずである。ストレスを物欲と大量消費に求めて、それで、何が豊かな国、日本だろうか?豊かさは所有物の数ではない。豊かさとは、ジャネットのように、時間を大切にし、物を大切にし、人と人との絆を大切にして、いかに日常の雑多な事柄を愛しめるハートを持っているか、では無いだろうか。  

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2007年11月04日

アイラ島上陸

 イースト・ロッホェッドでの滞在はわずか12時間。早朝のフライトに合わせ、ジャネットも早起きして朝食を用意してくれた。朝が早いからとここで手抜きをしないのも、イギリス人である。そう、これぞまさに憧れの「ピクチャー・ウインドウから朝露に輝くガーデンを一望しながらいただく、フル・ブレックファーストである。信じられないぐらいビュジュアル本通りである。しぼりたてのオレンジジュース。カリカリの三角トースト。自家製ベリージャム。パンケーキ。はちみつ。良さんはベーコンエッグ。わたしはスクランブルとソーセージ。そして、たっぷりのミルクティー。
 わたしは、本の片隅にジャネットのサインをねだった。旅の想い出は、こうして自分でつくることも肝心である。
 別れ際、駆け足のわたしたちに快く付き合ってくれたジャネットにお礼がしたくて、トランクに忍ばせってあった「海苔せんべい・梅味」をひと袋、進呈した。彼女はすごーく喜んで、ハグ(熱い抱擁のことです)してくれたが、わたしたちが旅立ったあと、おせんべいを味見して、きっとまたムムと眉間にシワを寄せていることだろう。
 
 さて、当たり前のことだけれど、空港というものはローカル度合が強くなるにつれて規模も小さくなるし、チェックインカウンターも遠くなるし、飛行機自体も小型になってゆく。さらには、飛行機のタラップだって親切に空港の建物に横付けなどしてくれない。そのような状況を目の当たりにするにつれ、気分はどんどん心細くなるものなので、飛行機嫌いのひとはとくに、離島に行ってみようなどとは思わないほうが懸命である。
 アイラ島行きの飛行機は、双発のプロペラ機と聞いていたが、イメージとしては、ヘリコプターとセスナ機をたして2で割ったようなものであった。操縦席と客室はカーテン一枚で仕切られているだけである。特に腑に落ちなかったのは、約33人乗りの座席が、飛行機の真ん中で、縦に振り分けられているのではなくて、真ん中から左にずれた通路を挟んで、左に11席、右に22席、と偏って設置されていることである。新幹線ならまだしも、飛行機の座席がシメントリーでないというのは、納得がいかないものである。・・・しかしまぁ・・・きっと知らないところで、納得がいくような設計がなされているのであろう。
 双発のプロペラ機は、シースルーのエレベーターに乗っているときのような、頼りなさがあるけれど、それゆえに開放感があって、ジャンボ機などに比べて低空飛行なので、眼下には先ほど後にしてきたばかりの、バル・ロッホ湖も、イースト・ロッホェッドも確認出来た。
 わたしは飛行機嫌いではない。むしろ数ある交通機関の中で、飛行機がいちばん好きだと言える。
 映画『グラン・ブルー』の中で、主人公が深海でイルカと戯れ、導かれ、自分の呼吸の限界と、イルカへに対する憧れを秤に掛けた末、ふっと、死へと繋がる臨界線を超え、イルカについて行ってしまったように、わたしは飛行機に乗っている時、アンドレア・ボチェリ(イタリアのオペラ&ポピュラー歌手)の「君と旅立とう」なんかを聴いていると、このまま空の彼方に消えて宇宙に同化してしまうのも悪くないかも。というふうに感じるのである。(・・・逆説的に、近頃ではそんなふうに感じたくて、飛行機に乗るときは必ず彼のカセットテープを持参する)

  アイラ島には8ケ所の蒸留所があるが、経営の存続が難しくなり、様々なオーナーの手に委ねられ、その間休業、または見通しのきかない操業停止になってしまうことも、珍しいことではない。しかし、完全に潰れてしまうことが無いのは、アイラ島のウヰスキーが、強烈な個性を持った、唯一無二の産物であり、何か問題があれば、業界の中に必ず手を挙げ、保護と立て直しに乗り出す企業があるからだ。
 島に近づくと、上空からは、南の海岸線の、波飛沫(しぶき)がかかる際(きわ)に、4つの蒸留所が見て取れる。
 アイラ島のウヰスキーの個性をひとことで表すなら、熟成中、潮風に晒されることにより生まれてくるアロマに、ヨード香を感じるということである。身近なものでたとえるなら「塩蔵わかめ」の匂いである。「ヨードチンキ」みたいだ、という人もいる。いづれにしても、決していい香り、とは言い難いのに、嵌まると、ウヰスキーを飲まずとも、香りが細胞のひとつひとつに語りかけ、母なる海の懐かしさと、人間の理性とは逆の、もっとシンプルな動物性のようなものまで、呼び覚まされる。それほど壮大な感慨が、一瞬にして身体を駆け抜けるのである。
 あなただってきっと触手が動いたなら、その虜になるのは時間の問題である。

 ちょっと広めの校庭のような空港に飛行機は着陸した。荷物のためのターンテーブルもないので、ポーターの手によって待合室の片隅に並べられていく中から、自己申告で荷物を受け取る。
 レンタカー会社の女性が、わたしたちの姿を見つて、早速、書類の作成に取り掛かった。運転をするようになってからどれぐらいの年月が経つか?保険はどうするのか?てきぱきとシビアな質問攻めに合い、こんな、世界の果てのようなアイラ島にも、グローバルスタンダードな事務処理は存在するんだなぁと、小さくため息をついた。しかし、彼女の最後の一言で、やはりここは、シングル・モルトの巡礼聖地であると、強く確信した。
「アイラ島の人口は四千人ぐらいかな。ま、飲酒運転しててもね、ポリスマンは、たった、ふたりだけだから、捕まりっこないわ(ウインク)。グッド・ラック!」
むむむむ。世界は広い。世界の果てには、飲酒運転を奨励する、レンタカー会社の従業員というのも、存在するのであった。
  

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2007年11月11日

LAGAVULIN

へブリディーズ諸島の最南端にあって、その美しさから『ヘブリディーズの宝石』『ヘブリディーズの女王』と呼ばれているアイラ島は、その1/4がピート(植物が堆積して出来る泥炭のこと。千年でやっと10cm~15cm堆積する)に覆われた大地で、島民の1/4がウヰスキー関連の仕事に従事しているという。これはもう、バッカスの粋な計らいにより、特別に用意された島だとしか想えないではないか。
 アイラ島の蒸留所は8つ。島の東南側には、時計回りに「アードベック」「ラガヴーリン」「ラフロイグ」「ポートエレン」
中央に「ボウモア」
西に「ブルイックラディ」
北に「カリーラ」「ブナハーブン」と位置している。
 空港は「ポートエレン」と「ボウモア」のちょうど真ん中ぐらいにある。アイラ島での滞在は2日間。初日は島の東南、3ケ所を制覇することにした。
 ポートエレンは1983年に営業を停止し、現在は麦芽精製の専門業者となっているので、素通りするしかない。
 空港からポートエレンの町まで、道路は定規で線を引いたように、まーっすぐである。そして、その両側は360度、ピート湿原であった。これならもしや運転免許がないわたしでも、ちょいと度胸さえ持ちだせば、超かんた~んに運転できちゃったりして?という錯覚に陥る・・・。
  
 ラガヴーリン蒸留所に近づいて、まず目にするのは、用水路を勢い良く流れる紅茶色の水である。ピートに染み込んだ雨は、長い時間をかけて地上に戻るまで、ピートによって濾過されると同時に、そのエキスを還元されるため、透明ではなく紅茶色なのだ。(つまり、こんなところも、ウヰスキー仕様ということだ) 。
 さて、わたしたちがビジターセンターのドアに掛けらたインフォメーションカードを読んでいると、自転車が2台、ツーッと入ってきた。
 ひとりは背高の痩せぎすで、ぐりぐりの金髪。もうひとりは、優しくて力持ち的太っちょで、赤毛禿げである。
「ハッロー!まだ、開いてない?」金髪が聞いてきた。
「あと10分だよ」
「ひゃっほー!!」
 彼等は、非常にタイミング良く到着したことを喜び、お互いの腕をクロス・タッチして友情を確かめ合っていた。
 そして、ポーチの段々に並んで腰掛けているわたしたちを、両側から挟み込むように座ったので、成り行き上、とてもフレンドリーな自己紹介をし合った。それによると、彼等はスェーデン人であり、毎夏ヴァカンスにはスコットランドを訪れ、サイクリングとウヰスキーを楽しむんだと言った。
「スェーデンからスコットランドまでフェリーが出てるし、アイラ島にもフェリーで渡って来られる。車だとウヰスキーのティスティングが出来ないだろう?だから、ぼくたち、とても理に適っているんだ。」
車で来ちゃった理に適って無いわたしと良さんは、節目がちに「そ、そうだね」と同意するしかなかった。

 ベストシーズンとはいえ、アイラ島まで足を運んでディストラリーを訪れるひとは、そう多くはいない。6人のみのこじんまりしたツアーとなる。
 「ラガヴーリン」とは、ゲール語で「窪地の水車小屋」という意味。どこの蒸留所も、その前身は、禁酒法をかいくぐっての密造時代を経てきているので、ラガヴーリンも、名が示す通り「窪地の水車小屋」という仮の姿で世を忍び、その実、後に「ホワイト・ホース(有名なブレンデッド・ウヰスキー)」の核となるほどの原酒を造り続けていたのだ。
 近代的で小奇麗な蒸留工程から樽詰工程へと導かれ、船積み用の桟橋に出る。そこは小さな入り江になっており、桟橋は、胸の高さまで手すりがついた木製で、風雪に耐えてひかり輝く銀色に昇華し海へ向け20mほど突き出している。海水は紅茶色ではなく底が見えるほど透明度が高い。土壌の豊かさそのままに、海中では海藻が豊富にうごめいている。ああなんと、デッキチェアを広げて日がな一日海を眺めて過ごすにふさわしい場所か。入り江の先には、その昔、岩礁の複雑な地形を生かして建てられた古城、ダニヴェイグ城跡があるのだ。現在ではすっかり苔むして、その繁栄を偲ばせるものは、何も見当たらない。歴史の中で淘汰され、残ったもの。結局はそれが、この島の自然と、ウヰスキーということか。
  テイスティングは「LAGAVULIN 16years」。スコッチが市場に出るのは、だいたい、12年物からである。16年とは、それよりもさらに、熟成期間を長く取っているわけで、この4年の差は大きい。ヨード香もピーティーさも控え目で、非常にエレガント。ブーケからくるおだやかさとはうらはらに、まず舌をまあるく包む、厚みのあるアタックがある。ビー玉を口に含んだように、液体はバランス良くコロンと丸まって、舌の上でころころと転がる。そうして、球のまま、喉の奥まで転がって、ころんと落っこちてゆく感じ。このまろやかさは、マッカランと同様、スペイン産のシェリー樽に由来するものなのか。口当たりの良さゆえに、ついつい量を重ねてしまう、ウヰスキーである。  

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2007年11月17日

AREDBEG

アードベックのビジターセンター内には小さなレストランが完備されているので、ウヰスキーが主たる目的でない観光客も、ランチを求めて賑わっていた。スーベニールショップもかなり幅広いアイテムが揃えてあって、アイラ島で一番充実している。
 ツアーの申し込み者は、「ふ~ん、そんな見学が出来るなら、せっかくここまで来たんだし、ついでだから参加してみようか」という人々ばかりで、「はるばる来たぜ、アードベックよ!」と、建物の前で武者震いする輩は、やはりごく稀である。
 20人あまりが申し込んだところでツアー開始。(アイラ島に於いて、これほど多数の観光客を一括で目にしたのは、後にも先にもここだけです)

 1997年に安定した操業に入るまで、アードベックは何度もオーナーが代わる事態が続き、1980年代は完全に操業を停止していたのだという。
 ウヰスキー製造の建物は近代化されずに、大半が木造のままである。特に麦の貯蔵庫の内部は、三階ぶんをぶち抜いた巨大な空間で、床に向けて室内スキー場のような斜面が広がっている。見学者一同は、地上8~9m程にあるこの建物の、「梁」を改造した通路から、つるつるの斜面を望むことになるわけで、それはまるで吊橋から渓谷を眺めているような、感覚としては、きんたまのちぢみあがる気分です。(残念ながら、わたしには体感できませんが・・・)
 また、外へ向けて建物のドアや窓はすべて解き放たれているので、ごく自然に室内にスズメが入り込み、目をぱちくりさせながら進むわたしたちの頬をかすめ、なかなかのスピードで飛び交う。気分としては、なんだか巨大な鳥かごに、いっしょに放り込まれちゃった感じにもなる。

 ティスティングは『AREDBEG17years』。アードベックの最大の特徴は超ストロングなピート香にある。極端に表現すれば、殻付きのピーナツの、実ではなく、殻そのものを口に含んだ感じ。しかし「えぐい」ということではなく、上質のワインにも共通した、ココアやチョコ、シガーなどの、優美なスィーティーさも持ち合わせている。この強烈な個性はアイラ島のウヰスキーのなかでも一番顕著で、アイラ好き(=島物好き)は、そうしてヨードとピートにやられ、終いには、これが無いと物足りなく感じるようになるのである。
 普段の生活のなかでスズメを見かけると、わたしは、実りの季節の田んぼで稲穂をつつくスズメでもなく、電線で休む姿でもなく、アードベックの貯蔵庫が目に浮んでくるようになってしまった・・・。同時に、あの日、あの場所で嗅いだピートの香りが、仏像の火焔光のごとく、めらめらゆらゆらとわたしを包み込んでゆき、忘れようもない味わいが、電流となって身体を巡るのである。  

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2008年06月30日

LAPHROAIG

 ラフロイグを語るとき、ひとりの女性、ベッシー・ウイリアムソンを抜きには出来ない。ベッシーはグラスゴーに生まれ、グラスゴー大学で修士号を取得した才媛であった。たまたまラフロイグ蒸留所の事務職に病欠が出たため、3ケ月だけという期限つきでアイラ島に渡ったのであるが、オーナーからすぐにその能力とセンスと情熱を買われ、ウヰスキー造りのすべてを叩き込まれることとなる。ウヰスキーという保守的な業界でありながら、彼女は男性顔負けに仕事をこなしていった。オーナーが亡くなると遺言により蒸留所は当時43歳のベッシーに譲渡され、それから彼女は1972年までの約20年を、ラフロイグのオーナー兼所長として勤め上げたのである。そして、その後も蒸留所に隣接する「アーディナスティル・ハウス」に住み、リタイアから10年後に71歳で他界したのであった。たった3ケ月のはずが、家庭を持つこともなく、一生をラフロイグに奉げ、まさにラフロイグの「歴史と伝説」そのものとなったのである。
 モノクロの写真で見る40代の彼女は、骨格がしっかりしており、首が太く、知的さを象徴して額が広く、頭も大きい。微笑んだ口元からは丈夫で健康そうな歯並びが覗える。鼻は高く大きく、眼鏡の奥に輝く瞳には、強靭な意志の強さが宿っている。こう並べると、豪快で、色の欠片も無い女傑のように想われてしまいそうだが、彼女は、ペイズリー柄の、体のラインを強調するカッティングが施された、仕立ての良いワンピーススーツを着こなし、繊細なデザインのイアリング、チョーカー、ブレスレット、指輪、時計を身に付け、とても女性らしいいでたちで優雅さとエレガントさを醸しだしているのだ。だから、たいていの人は、第一印象で「かなわないな」と想うのではないだろうか。

 この日の見学ツアーは、終了してしまったあとだったが、わたしたちはテイスティングルームに立ち寄ることを許された。案内してくれたひとが、どういう立場のひとか判らないけれど、
「これは自由にティスティングしていいよ。帰る時に出口で声を掛けてくれればいいからね」と、ボトルとグラスを指し示してドアの向こうに消えてしまったので
「あれ?もしかしてわたしたち、ほっとかれた?」という感情を拭えなかったが
「信頼されたということでは?」と、ポジティブな見解でこの状況を捉えると、そこは世界で一番贅沢なバーと化した。
なんといっても、わたしたちはラフロイグの体内に自由な空間を与えられ、ベッシーの魂が受け継がれたラフロイグ15年でグラスを満たし、蒸留所の窓越しに見える、小さな入り江にさわさわと寄せては返すさざ波を眺めているのである。
 (ベッシー、わたしたちは貴女の愛したものを体感していているのよ。貴女を成り立たせていたものが揃っているこの同じ場所に身を置いて、貴女が生涯を掛け目指したものの核心を、どこまで読み解くことができるかしらね)
 (いいえ、分析は必要ないわ。ラフロイグが五臓六腑に沁みて、その瞬間、生きていることの喜びをじわっと実感できたなら・・・それが本望よ)
ベッシーはそう言って、わたしたちにウインクをくれた。
  

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2008年06月30日

今宵の宿は・・・

 ポートエレン地区からボウモア町へ戻る道すがら、良さんは手を挙げて、対向車へ挨拶をするという実験を試みた。それはガイドブックに『見知らぬ島の人々が、車ですれ違う時に、まるで知人にでも挨拶するように、対向車から手を挙げて挨拶をしてくる。それは島民のやさしさなのだ』と書いてあったからで、ほんとうに驚くことに、百発百中の確率で挨拶が返ってくる。しかも寒冷地独特の赤いほっぺを緩ませた、素朴で温かい微笑みつきである。
 直線の先には、先程ラガヴーリンで知り合った金髪のピーターと赤毛のラルフが持て余し気味のスタミナを燃焼させ、連なって自転車を走らせている姿が見える。
「悪いねぇ!先にバーでやってるよ!」
良さんは速度をキュイーンとあげ、自動車の長所を存分に見せつけて、ふたりを追い越した。

 今夜の宿は「LOGHSIDE HOTEL(ロッホサイドホテル)」、アイラ島を紹介するどのガイドブックにも必ず取り上げられている有名なホテルである。ボウモアの町の中心部にあって、そのバーには400種以上のモルトが用意され、世界中からモルト巡礼に訪れるウヰスキーラバー達を労(ねぎら)う役割を果たしている。(いわば門前町とか仲見世とかの、おだんご屋または甘酒屋のようなのもですね)
 ここならいくら飲んだところで、手すりを頼りに階段さえ上がれば、ベッドはすぐそこにあって、どんな状況をもやさしく受け容れてくれるはずである。さっそく部屋を案内してもらう。
・・・しかし、部屋は想像を絶するほどに狭かった。確かにドアを開ければたった一歩でベッドで、便利至極ではあるが、そのシングルベッドは部屋の8割を占めており、トランクを広げる床のスペースはどう頑張っても確保できそうに無いし、さらなる悪条件として、わたしも良さんも『大』の字に寝る習性があるのだ。
「良さま。ふたり仲良く小さい『林』の字になって寝ましょうか?」
「いや、どちらかが『人ベン』どちらかが『木』の、『休』という字になって寝ないと無理だろう。そして人ベン役はきっと僕なんだ。・・・」
結婚6年も経過すると、新婚のように重なり合って寝るという発想はなくなるのである。
ただでさえ息苦しい部屋の中に、このままでは今宵ベッド争奪紛争が勃発しそうな、きな臭さが漂い始めた。まったく。喧嘩の火種というものは、どこに転がっているか知れたもんじゃない。良さんは解かり切った事を口にした自分をすぐに後悔したらしく、わたしの手をとって新たなる提案を申し出た。
「ふじこさん。別なホテルを探そう。観光案内所が斜向かいにある。そして、どうしても見つからなかったら、そのときは諦めてここへ戻ろうではないか」

 ボウモアの町は、シンボルの円形教会から港へ向かう緩やかな下り坂と、ボウモア蒸留所から延びる道がクロスした交差点を中心に、半径3分以内に公的な機関が集中している。学校も、銀行も、郵便局も、スーパーも、観光案内所も。
 良さんは宿探しに苦戦していた。ボウモア町内の、食事が美味しい、ツインベッドルーム。そんな条件の揃った宿はすでに何処も満室であった。
「ツインベッドが用意出来るのは、ポートエレイン方面に車で20分走った、マクリーホテルというところだけだって・・・」
(・・・マクリーホテル・・・マークリーホテル)わたしには何か引っ掛かるものがあった。
「!!!良さん、それって、土屋先生の本に書かれてた、土屋先生がスコッチに導かれるキッカケとなったホテルよ!あぁ、良さま。これはすべて運命よ。何故、いままで気づかなかったんでしょう。一連の流れはそこに行き着くように成っていたのよ。バッカスは、またしてもわたしたちを導いているのよ」
わたしは興奮すると、アン・シャーリー(赤毛のアン)的に、両手を胸の前で組み合わせ、一気にまくし立てる話し方をしてしまう。
良さんはわたしの興奮した背中をドウドウとなだめつつ、組み合わせた手に手を重ね宣言した。
「よし!マクリーホテルに決定だ!!!」

 宿泊取り消しのため、ロッホサイドホテルに引き返すと、やっと到着し、ホテル前に自転車を止めようとしているピーターとラルフに出くわした。
「なんだ君達、ずいぶん遅かったじゃないか。先にバーでやってる筈じゃなかったのかい?車がパンクでもしたかい?それとも、一直線にピートにでも突っ込んだのかい?」
むむむ。彼等を余裕の態度で迎えるはずが、一足違いで先手を打たれてしまった。
「ああ。そうだ。ついでに、ピートを掘り出すのを手伝って来たのさ」
良さんがウインクをすると、両者はガハガハと笑って、再会の握手を交わした。
「僕等はこのホテルに泊まってるんだ。夕食のテーブルを予約してあるから、よかったら一緒にどうだい?」
(・・・りょ、りょ、りょーさん。このひとたち、あの狭いベッドに重なり合って寝てるのかしら?)(あのねふじこさん。僕たちは予約してなかったから、最後の空室であるシングルルームを案内されただけで、彼等はきちんと広めのツインルームとかを予約したのだと想うよ)
(そ、そーだね)
 夕食をともにし、特に驚いたことが2つあった。ひとつは食欲である。体の大きな彼等が日がないちにち自転車をこいでいるのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、わたしたちがひとつの料理を分け合って食べてちょうど。あぁ、ごちそうさま。って感じの料理を、あくまで前菜のようにぺロっと平らげ、追加オーダーをどんどん入れてゆくのだ。彼等の胃袋は、少なく見積もっても、わたしたちの5倍のキャパを持っている。さすがはバイキングの末裔である。。
 
 もうひとつは、ピーターが大変なアニメ好きで、日本のアニメをスエーデンに紹介するプロモーターの仕事をしており、特に『うる星やつら』の『ラム』ちゃんにぞっこっんであると告白したことであった。そして、「ほらねッ!」とズボンのすそをまくり上げ、ラムちゃん柄の靴下を見せてくれたのだった。  

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2008年06月30日

マクリーホテル

 今や、日本に於けるスコッチ研究家の第一人者である土屋守氏は、http://www.scotchclub.org/profile.htm
ロンドンで日本語雑誌の編集部に勤務していた頃に、当時、マクリーホテルのオーナーであったマードー・マクファーソンから、アイラ島を雑誌に取り上げてみてはどうかというオファーを受け、そのホテルを訪れた。バーで、マードーにあてがわれるままグラスを重ね、したたかに酔ってベッドに入った彼は、喉の渇きに耐えられなくなって夜中に目覚める。しかし、水道をひねると茶色に濁った水しか出てこない。そんな水を口にするなんて、日本人の感覚では信じられず諦めようとしたが、渇きは限界に達し、とうとう一気に飲み干してしまうのである。それは冷たく柔らかい、太古の大地の匂いがするピートの水だったのだ。
(こんな美味しい水で仕込んだウヰスキーがまずいわけがない、スコッチのすべての蒸留所をこの眼でみてみたい)
そのようにして、彼はバスルームで衝撃的かつ運命的な「スコッチウヰスキーとの出会いの瞬間」を迎えた。
スコットランド旅の物語 (単行本(ソフトカバー)) より
土屋 守 (著)
 
 バッカスの計らいにより、わたしたちは、モルトウヰスキー好きにとってバイブルのような彼の著書をなぞるように、その現場に投宿することとなった。(三蔵法師が歩いたシルクロードとか、松尾芭蕉の奥の細道とか、先駆者の軌跡を辿り、その想いを確認する旅というのは、どのようなパターンでも浪漫と夢を孕んでいるものですね)
 荒涼としたピート湿原の上空に、『風と共に去りぬ』のタラのテーマがぴったりくるような、ドラマティックな夕焼けが広がる。わたしたちは、湿原を切り裂く一本道を辿り、マクリーホテルへ向う。視野に入るものは、大空と大地と、遠くにポツンと見えるホテルと想われる白い点だけである。大都会にいると、高い建物のせいで、空間の比率は、地7:空3ぐらいに感じてしまうが、ここは地1:空9ぐらいの感じである。 黄昏て、雲は刻々と色を変える。明るさと闇が鬩(せめ)ぎ合い、逆転し、気温も急激に下がってきた。
 アプローチのゲートを通過したところで、暗闇にぼおっと浮かび上がる建物は、推理小説の舞台に適した、外界から遮断された館のごとくであり、都会の雑踏や喧騒に慣れきったわたしたちは、早くも心細さと緊張で、体が強張(こわば)ってゆくのであった。
 バーにも食堂にも人の気配が無い。チェックインは済ませたものの、まさか、宿泊客はわたしたちだけなのか?予感を助長するように、渡されたキーの部屋まで、廊下の照明さえ点(とも)っていない。これはもしかして「ま、今晩はあなたたちだけだからね。節電に協力してね」という意味合いなのだろうか?
 淋しいウエルカムに、ずっしりと重たくなった気持ちとトランクを引きずって、しぶしぶと部屋に入った。
 
 ・・・広い。・・・清潔で安全で広い。トランクはベッドの上に載せずともゆうに7個は広げられる。バスルームにだって3個は広げられる余裕があるではないか。室内は深いグリーンのタータンチェックと白でコーディネートされ、天井は高く、カーテンもたっぷりしている。わたしたちの不安は一気に払拭された。空調にも水回りにも問題は見受けられない。そして、いままでのB&Bには無かった文明の利器、テレビが設置されていた。何よりもまず、テレビのスイッチをオンして、ささやかに毒された日常を摂取すると、やっと世界からの疎外感が薄らいだ。

さっそく蛇口をひねり、茶色い水を飲んでみる。決して「**にちかい味」というように、独特な風味がするというのでは無い。強く香り立つピーティーさがあるという訳でもない。ただひたすらに柔らかく、細やかな細胞や髪の一本一本にまで行き届き、からだ全体が「甦る」のがはっきりと解かるのだ。
(あぁ、これは・・・。・・・人間も植物も死んで土に帰れば同じこと。そのような、太古の昔から変わらずに脈々と連鎖してきたはずの原始的な成分だよ。洗練されてしまった人間社会の何処かの時点で、亡くしてしまった味だよ)
初めて水を意識した時のヘレン・ケラーのように、わたしたちは、顔にぱしゃぱしゃしたり、何度も口に含んだりして、その感覚を楽しんだ。白いホーローのバスタブに湯を張ると、上等なダージリンのお風呂に入浴するような感慨深さもあった。

 翌朝、階下へ降りてゆくと、ゴルフウェアに身を包んだ紳士たちがロビーにたむろしていた。
 実はマクリーホテルはアイラ島で唯一のゴルフコースも携えており、ホテルの裏庭がコースである。と言っても、何の区切りも仕切りもあるわけではない。
そして、わずらわしい林や、いやらしい池や、信じられないサンド(砂場)は存在しないが、ピート湿原独特の、草の絡み合った強力なラフが存在する。
 どうやらこの人々、ゴルフのために早寝早起きし、すでに朝食も済ませたようである。そのなかには、日本のS社のパーティも見受けられた。
 そうなのだ。ゴルフの予定も無いのに、このホテルに宿泊したのが、わたしたちだけだったのだ。
 みなさんがラウンドに出掛け、またもや人気(ひとけ)が無くなった食堂で、わたしたちは居残りを命ぜられた生徒のような気分で、朝食を取る羽目になったのである。あぁ、淋しい。
  

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2008年06月30日

BOWRORE

 丁寧に淹れられた良い出来ばえのコーヒー、見通しの明るい天気予報、やわらかな日溜まりで毛繕いをする猫。それらはわたしにとって、平凡な朝の始まりが、穏やかさと安堵感に満ちたものであることを予感させてくれる。
 そしてこの日、ボウモア蒸留所ビジターセンター入り口では、ウヰスキー・キャットの『スモーキー』が、名前どおりのくすんだ灰色の体毛を朝の光に翳し、
人間にはまねが出来かねる無茶な体勢を極めて、毛繕いに没頭していた。
 「スモ~キ~。スモ~キ~。」
 わたしは猫撫で声で近づいて意志の疎通を試みたが、きれいに無視である。日本人スタッフ(*注:ボウモアはサントリー社の傘下にあります)が流暢な英語で本日のご機嫌伺いをすると、スモーキーは眉をくいっと動かして、ん、まあ、悪くないよと返事をした。
継いで日本人スタッフは、わたしたちにも英語でご機嫌伺いをしてくれた。
「Good morning ! How are you?」(ウインク)
アイラ島に於いて美味しいコーヒーを望むのは難しいが、空は澄み渡り、機嫌の悪くない猫には遭遇した。いちにちの出だしとしてはまあまあである。
「Good morning. Fine thank you!」(ウインク)

 アイラ島の中心部に所在し、アイラモルトのスタンダードと評されるボウモアは、
「ウヰスキーの島に来たんだから、まぁ一箇所ぐらい立ち寄るなら、ここにしとこうか」といった、通りすがり的一般観光客が多いので、まずは15分ほどの教科書的プロモーションビデオにより、創業からの歴史、製造のこだわり、繁栄と経営の難しさ、今後のヴィジョンなどがガイドされ、そののち、例によって製造工程をひと通り見てまわる。
 檻で隔離された手の届かない貯蔵庫の奥には、オールド・ヴィンテージや、記念もの、限定ものなど、お宝樽が積み上げられているのが垣間見える。これらが市場に出てくるのは、果たしていつのことだろう。流通する時期がきても入手は困難な筈である。何年後かに、運良くモルトバーで、ワンフィンガーぶんぐらい楽しめればラッキーであろう。
 それにしても、昨今の流通システムは脱帽ものだ。ここで造られた定番のウヰスキーなら、時を経て、地球を半周もした国の、たいていの酒屋やバーの棚に並ぶのだから。そしてそれは、品質も価格も安定しているウヰスキーの特性と、水割りをはじめとして、ウヰスキーを嗜む人が多いといった、日本ならではの事情が融合しあってのことだ。

 ティスティングルームの窓からは、ボウモアの浜が見える。少し雲が広がってきた空に、何羽ものカモメが飛び交う。ボウモアのラベルに描かれている、あのカモメである。わたしはグラスを空へ掲げて遠くのカモメを拝借し、グラスのなかを舞う情景を楽しんでみる。浜へ降りた一羽のカモメは、波に打ち上げられた海藻を、ツツッとつまんで食べた。波は静かに寄せては返し、カモメの足を洗う。そんなのをぼんやり見ながら、またウヰスキーをちびりとやる。・・・浪漫である。

良さんはささやかに、ボウモアカモメのタイピンとカフスを購入。
ビジターセンターの顔であり、世話好きな親日家のクリスティーンに、からからせんべいを差し上げたら、お返しにと、ミニチュア・ボトルを頂いた。 
  

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2008年06月30日

カラフト・ケチン

 さて、どうしても試してみたい願いのひとつに、アイラ島産の牡蠣にアイラモルトをたらり、として食べる。というのがあった。
早速、ボウモア町の雑貨屋の前で荷物の積み下ろしをしている、地元のお兄さんに声をかけてみた。
「あのう、アイラ島でオイスターを食べられるとこって、何処かありませんか?」
「あんんっ?」作業の手が止まり、わたしたちは、怪訝な表情でみつめられた。
「オイスターです。オイスターが食べたいんですけど、どこか、知りませんか?」
 彼は仕事の手を止め、上半身全体を揺らして、大きくうなずいた。
「あ~あ、そいづぁ、カラフト・ケチンだぁ」
「カラフト・ケチン?」(これ、ゲール語?)
「んだぁ。カラフト・ケチンだぁ」・・・ふたりで、顔を見合わせた。
「カラフト・ケチン・・・ねぇ・・・?」
(!!!)東京的標準語と、浜通り東北弁とのバイリンガルであるわたしの脳に、シナプスが走った。
(良さま、わたしには解かった!通訳するとね、「クラフト・キッチン」と言ってる)
 クラフト・キッチンは、ボウモアから湾をぐるりと挟んで向かい側、ブルイック・ラディ蒸留所の近くにあるらしい。

 ボウモア郊外は、軽井沢の別荘地のように、木立に囲まれた閑静な地区で、木立を抜ければ一転して牧草地となる。
 そこに、「人間の生活のために、便宜上アスファルトの道路を通しちゃって、ごめんね、牛さん、羊さん」という謙虚な姿勢で道路が存在している状態なので、ゆっくりのスピードであれ、車が通ると、のんびりと時間をやり過ごしている羊たちは、ブーイングをあげつつ、いっせいに車の前を走り出すのである。
 こっちにしてみたら、「危ないよー。そこのけ、そこのけ、車が通る」なんだけれど、羊たちは車を避けて左右に分かれて走ることを知らない。ただひたすら、パニックを起して車を振り返りながら、必死の形相で走るのだ。
 「前を走るな、ばか羊~!」徐行運転を余儀なくされ、良さんが悪態を吐く。距離が行けば、羊の数はどんどん増していくばかり。しかし、羊年生まれで、つねづね「ボクの前世は羊かも・・・」なぞと言ってる良さんは、逃げる術を知らない羊たちが気の毒になったのか、羊に自分を重ね合わせて見てしまったのか、神妙な面持ちで、ぴたっ、と車を止めた。
 一瞬にしてパニックから開放された羊たちは、「あれっ、どうしたのさ?」という感じで、集団で良さんの様子をうかがっている。何十匹もの羊にいっせいに見つめられるというのも、なかなかシュールである。
 不意をつく間合いをとって、良さんは、羊たちに向って「ダァー」とか「ダダダダダァ」と突進しながら、シープ・ドックよろしく、自分で左右に追い払いだした。羊たちも、この奇襲攻撃には度肝を抜かれたらしく「ウメメメメメェ」と、ちりじりに逃げてゆく。
「ふじこさん、今のうち。さ、はやく、車に乗って」
「合点だ。親分」

 クラフト・キッチンは、平屋建ての簡素な食堂といった趣であるが、土産物屋も兼ねているし、島の風景をスケッチした絵を集めたギャラリーでもあった。
 黒板の、今日のメニューを吟味していると、
「決まったべが?何、食べんのっしゃ?」と、ミックジャガーを太らせたような叔母さんが聞いてきた。(ちなみに、髪型もミックです)
「オイスター!」
「アー、今日は、牡蠣は無いのさ。まぁ、ほがにも、いろいろあっからねぇ、裏さ来て、あんだの食べたいの、選らばぃん」
(初めての感覚だった。英語が、英語と意識することなく、日本語で会話してるかのように、解かるのだ。もちろん、訛り具合まで)

 わたしは、ミック叔母さんの後をついて行った。厨房には青年と、娘さんがふたり。みんなタータンチェックのパッチワークがアクセントの、お揃いのエプロンを着けている。お父さんらしきひとの姿はみえないけれど、きっと、漁に出ているだけで、家族5人での経営なのだろう。
 叔母さんは、冷蔵庫から発泡スチロールのトロ箱を取り出し、ステンレスの台に並べて、食材を見せてくれた。サーモンや白身魚は、フィッシュ&チップスになるのだろうからやめて、わたしは大海老のワイン蒸しをオーダーした。
 良さんは路線を変更し、シェパーズ・パイ(*メイン食材:羊の挽肉)をオーダーして、ここで仇を討つつもりらしかった。
 料理は、わたしの母がつくるスタイルと似ている。星がつくほど、飛びぬけてすっごく美味しいということは無いのだけれど、ひと手間を惜しまずつくられているので、食べ終わった時に素直に、美味しかったね、といえる味。つまりはやはり、おふくろの味ということか。
 そんな味を求めて、わたしたちが食べ終える頃には、誰もいなかったテーブルが満席となっていた「どうも、ご親切にありがとうございました~。美味しかったです~」と席を立つと
「まだ、ございねぇ(いらっしゃいねぇ)」と、ミック叔母さんの、屈託の無い微笑とウインクが返ってきた。
(きっと、また、来るよ~。きっとね~)
  

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2008年06月30日

BRUICH LADDICH

 ブルイックラディのボトルラベルは、美しい水色である。そして、ブルイックラディ蒸留所の白い建物の窓枠も、ブルイック・ブルーであった。
 2001年春、やっと操業が再開されたばかりとういことで、まだ見学ツアーは行なわれていない。かろうじて、ティスティング・ルームだけが開放されていると聞き、運動部の部室のような、離れの建物の二階へ上がった。
 ・・・背を向けていても見覚えがある、ウルフの赤毛&禿げ頭。ピーターの金髪。やれやれ、またここでもふたり揃ってカウンターに向かい、小難しい顔をして、ウヰスキーのブーケを分析しているではないか。
「ダーリン、なにしてるっちゃ?」わたしが、うる星やつらのラムちゃんのものまねで声を掛けると、身体をねじってウルフは右に、ピーターは左に振り向いた。そして彼等も大袈裟なゼスチャアでオテアゲし、やれやれまた君たちか、というふうに眉をあげ、天を仰ぐのだった。
「まあまあ、ここに座れよ」と、ラルフがスツールをポンポンと叩いてわたしたちの着席を促し、席をふたつぶん左に移動し、スペースをつくってくれた。
テイスティングルームの女の子も、ささっと、わたしたちの前に、ブルイック・ラディの入ったグラスを置いてくれた。
「では、我々の強ーい絆に・・・」と、ピーターがグラスを頭の高さまで掲げたので、各々がグラスを取って合言葉を述べた。
「スランジ・バー!」「スランジ・バー!」
 スランジ・バー(Slainte Vhar)とは、ゲール語で乾杯の意。なんでも、「スランジ」でGood health、「スランジ・ボー」でVery Good health、「スランジ・バー」でVery Very Good healthということだから、最上級で健康を祝してるわけで、その昔からウヰスキー(Uisge beatha)が『生命の水』と崇められてきた由縁がうかがえる。
「実はね、僕等はブルイックを『樽買い』したんだ」ピーターがぼそっとつぶやいた。
(!!!)「樽買い!?」
「そう、樽買い」
『樽買い』とは、容量250Lのホグスヘット樽、まんま、ひと樽購入することである。エンジェルス・シェアを考慮してもウヰスキーの瓶に換算して約30本分。ウヰスキーラバーなら、一度は実行してみたい、豪儀な買い方である。
「僕等は、これからも毎年、夏にはアイラ島に来るつもりだし、閉鎖の危機から脱したブルイックを、応援したい気