2008年06月30日
LAPHROAIG
ラフロイグを語るとき、ひとりの女性、ベッシー・ウイリアムソンを抜きには出来ない。ベッシーはグラスゴーに生まれ、グラスゴー大学で修士号を取得した才媛であった。たまたまラフロイグ蒸留所の事務職に病欠が出たため、3ケ月だけという期限つきでアイラ島に渡ったのであるが、オーナーからすぐにその能力とセンスと情熱を買われ、ウヰスキー造りのすべてを叩き込まれることとなる。ウヰスキーという保守的な業界でありながら、彼女は男性顔負けに仕事をこなしていった。オーナーが亡くなると遺言により蒸留所は当時43歳のベッシーに譲渡され、それから彼女は1972年までの約20年を、ラフロイグのオーナー兼所長として勤め上げたのである。そして、その後も蒸留所に隣接する「アーディナスティル・ハウス」に住み、リタイアから10年後に71歳で他界したのであった。たった3ケ月のはずが、家庭を持つこともなく、一生をラフロイグに奉げ、まさにラフロイグの「歴史と伝説」そのものとなったのである。 モノクロの写真で見る40代の彼女は、骨格がしっかりしており、首が太く、知的さを象徴して額が広く、頭も大きい。微笑んだ口元からは丈夫で健康そうな歯並びが覗える。鼻は高く大きく、眼鏡の奥に輝く瞳には、強靭な意志の強さが宿っている。こう並べると、豪快で、色の欠片も無い女傑のように想われてしまいそうだが、彼女は、ペイズリー柄の、体のラインを強調するカッティングが施された、仕立ての良いワンピーススーツを着こなし、繊細なデザインのイアリング、チョーカー、ブレスレット、指輪、時計を身に付け、とても女性らしいいでたちで優雅さとエレガントさを醸しだしているのだ。だから、たいていの人は、第一印象で「かなわないな」と想うのではないだろうか。
この日の見学ツアーは、終了してしまったあとだったが、わたしたちはテイスティングルームに立ち寄ることを許された。案内してくれたひとが、どういう立場のひとか判らないけれど、
「これは自由にティスティングしていいよ。帰る時に出口で声を掛けてくれればいいからね」と、ボトルとグラスを指し示してドアの向こうに消えてしまったので
「あれ?もしかしてわたしたち、ほっとかれた?」という感情を拭えなかったが
「信頼されたということでは?」と、ポジティブな見解でこの状況を捉えると、そこは世界で一番贅沢なバーと化した。
なんといっても、わたしたちはラフロイグの体内に自由な空間を与えられ、ベッシーの魂が受け継がれたラフロイグ15年でグラスを満たし、蒸留所の窓越しに見える、小さな入り江にさわさわと寄せては返すさざ波を眺めているのである。
(ベッシー、わたしたちは貴女の愛したものを体感していているのよ。貴女を成り立たせていたものが揃っているこの同じ場所に身を置いて、貴女が生涯を掛け目指したものの核心を、どこまで読み解くことができるかしらね)
(いいえ、分析は必要ないわ。ラフロイグが五臓六腑に沁みて、その瞬間、生きていることの喜びをじわっと実感できたなら・・・それが本望よ)
ベッシーはそう言って、わたしたちにウインクをくれた。
2008年06月30日
今宵の宿は・・・
ポートエレン地区からボウモア町へ戻る道すがら、良さんは手を挙げて、対向車へ挨拶をするという実験を試みた。それはガイドブックに『見知らぬ島の人々が、車ですれ違う時に、まるで知人にでも挨拶するように、対向車から手を挙げて挨拶をしてくる。それは島民のやさしさなのだ』と書いてあったからで、ほんとうに驚くことに、百発百中の確率で挨拶が返ってくる。しかも寒冷地独特の赤いほっぺを緩ませた、素朴で温かい微笑みつきである。
直線の先には、先程ラガヴーリンで知り合った金髪のピーターと赤毛のラルフが持て余し気味のスタミナを燃焼させ、連なって自転車を走らせている姿が見える。
「悪いねぇ!先にバーでやってるよ!」
良さんは速度をキュイーンとあげ、自動車の長所を存分に見せつけて、ふたりを追い越した。
今夜の宿は「LOGHSIDE HOTEL(ロッホサイドホテル)」、アイラ島を紹介するどのガイドブックにも必ず取り上げられている有名なホテルである。ボウモアの町の中心部にあって、そのバーには400種以上のモルトが用意され、世界中からモルト巡礼に訪れるウヰスキーラバー達を労(ねぎら)う役割を果たしている。(いわば門前町とか仲見世とかの、おだんご屋または甘酒屋のようなのもですね)
ここならいくら飲んだところで、手すりを頼りに階段さえ上がれば、ベッドはすぐそこにあって、どんな状況をもやさしく受け容れてくれるはずである。さっそく部屋を案内してもらう。
・・・しかし、部屋は想像を絶するほどに狭かった。確かにドアを開ければたった一歩でベッドで、便利至極ではあるが、そのシングルベッドは部屋の8割を占めており、トランクを広げる床のスペースはどう頑張っても確保できそうに無いし、さらなる悪条件として、わたしも良さんも『大』の字に寝る習性があるのだ。
「良さま。ふたり仲良く小さい『林』の字になって寝ましょうか?」
「いや、どちらかが『人ベン』どちらかが『木』の、『休』という字になって寝ないと無理だろう。そして人ベン役はきっと僕なんだ。・・・」
結婚6年も経過すると、新婚のように重なり合って寝るという発想はなくなるのである。
ただでさえ息苦しい部屋の中に、このままでは今宵ベッド争奪紛争が勃発しそうな、きな臭さが漂い始めた。まったく。喧嘩の火種というものは、どこに転がっているか知れたもんじゃない。良さんは解かり切った事を口にした自分をすぐに後悔したらしく、わたしの手をとって新たなる提案を申し出た。
「ふじこさん。別なホテルを探そう。観光案内所が斜向かいにある。そして、どうしても見つからなかったら、そのときは諦めてここへ戻ろうではないか」
ボウモアの町は、シンボルの円形教会から港へ向かう緩やかな下り坂と、ボウモア蒸留所から延びる道がクロスした交差点を中心に、半径3分以内に公的な機関が集中している。学校も、銀行も、郵便局も、スーパーも、観光案内所も。
良さんは宿探しに苦戦していた。ボウモア町内の、食事が美味しい、ツインベッドルーム。そんな条件の揃った宿はすでに何処も満室であった。
「ツインベッドが用意出来るのは、ポートエレイン方面に車で20分走った、マクリーホテルというところだけだって・・・」
(・・・マクリーホテル・・・マークリーホテル)わたしには何か引っ掛かるものがあった。
「!!!良さん、それって、土屋先生の本に書かれてた、土屋先生がスコッチに導かれるキッカケとなったホテルよ!あぁ、良さま。これはすべて運命よ。何故、いままで気づかなかったんでしょう。一連の流れはそこに行き着くように成っていたのよ。バッカスは、またしてもわたしたちを導いているのよ」
わたしは興奮すると、アン・シャーリー(赤毛のアン)的に、両手を胸の前で組み合わせ、一気にまくし立てる話し方をしてしまう。
良さんはわたしの興奮した背中をドウドウとなだめつつ、組み合わせた手に手を重ね宣言した。
「よし!マクリーホテルに決定だ!!!」
宿泊取り消しのため、ロッホサイドホテルに引き返すと、やっと到着し、ホテル前に自転車を止めようとしているピーターとラルフに出くわした。
「なんだ君達、ずいぶん遅かったじゃないか。先にバーでやってる筈じゃなかったのかい?車がパンクでもしたかい?それとも、一直線にピートにでも突っ込んだのかい?」
むむむ。彼等を余裕の態度で迎えるはずが、一足違いで先手を打たれてしまった。
「ああ。そうだ。ついでに、ピートを掘り出すのを手伝って来たのさ」
良さんがウインクをすると、両者はガハガハと笑って、再会の握手を交わした。
「僕等はこのホテルに泊まってるんだ。夕食のテーブルを予約してあるから、よかったら一緒にどうだい?」
(・・・りょ、りょ、りょーさん。このひとたち、あの狭いベッドに重なり合って寝てるのかしら?)(あのねふじこさん。僕たちは予約してなかったから、最後の空室であるシングルルームを案内されただけで、彼等はきちんと広めのツインルームとかを予約したのだと想うよ)
(そ、そーだね)
夕食をともにし、特に驚いたことが2つあった。ひとつは食欲である。体の大きな彼等が日がないちにち自転車をこいでいるのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、わたしたちがひとつの料理を分け合って食べてちょうど。あぁ、ごちそうさま。って感じの料理を、あくまで前菜のようにぺロっと平らげ、追加オーダーをどんどん入れてゆくのだ。彼等の胃袋は、少なく見積もっても、わたしたちの5倍のキャパを持っている。さすがはバイキングの末裔である。。
もうひとつは、ピーターが大変なアニメ好きで、日本のアニメをスエーデンに紹介するプロモーターの仕事をしており、特に『うる星やつら』の『ラム』ちゃんにぞっこっんであると告白したことであった。そして、「ほらねッ!」とズボンのすそをまくり上げ、ラムちゃん柄の靴下を見せてくれたのだった。
直線の先には、先程ラガヴーリンで知り合った金髪のピーターと赤毛のラルフが持て余し気味のスタミナを燃焼させ、連なって自転車を走らせている姿が見える。
「悪いねぇ!先にバーでやってるよ!」
良さんは速度をキュイーンとあげ、自動車の長所を存分に見せつけて、ふたりを追い越した。
今夜の宿は「LOGHSIDE HOTEL(ロッホサイドホテル)」、アイラ島を紹介するどのガイドブックにも必ず取り上げられている有名なホテルである。ボウモアの町の中心部にあって、そのバーには400種以上のモルトが用意され、世界中からモルト巡礼に訪れるウヰスキーラバー達を労(ねぎら)う役割を果たしている。(いわば門前町とか仲見世とかの、おだんご屋または甘酒屋のようなのもですね)
ここならいくら飲んだところで、手すりを頼りに階段さえ上がれば、ベッドはすぐそこにあって、どんな状況をもやさしく受け容れてくれるはずである。さっそく部屋を案内してもらう。
・・・しかし、部屋は想像を絶するほどに狭かった。確かにドアを開ければたった一歩でベッドで、便利至極ではあるが、そのシングルベッドは部屋の8割を占めており、トランクを広げる床のスペースはどう頑張っても確保できそうに無いし、さらなる悪条件として、わたしも良さんも『大』の字に寝る習性があるのだ。
「良さま。ふたり仲良く小さい『林』の字になって寝ましょうか?」
「いや、どちらかが『人ベン』どちらかが『木』の、『休』という字になって寝ないと無理だろう。そして人ベン役はきっと僕なんだ。・・・」
結婚6年も経過すると、新婚のように重なり合って寝るという発想はなくなるのである。
ただでさえ息苦しい部屋の中に、このままでは今宵ベッド争奪紛争が勃発しそうな、きな臭さが漂い始めた。まったく。喧嘩の火種というものは、どこに転がっているか知れたもんじゃない。良さんは解かり切った事を口にした自分をすぐに後悔したらしく、わたしの手をとって新たなる提案を申し出た。
「ふじこさん。別なホテルを探そう。観光案内所が斜向かいにある。そして、どうしても見つからなかったら、そのときは諦めてここへ戻ろうではないか」
ボウモアの町は、シンボルの円形教会から港へ向かう緩やかな下り坂と、ボウモア蒸留所から延びる道がクロスした交差点を中心に、半径3分以内に公的な機関が集中している。学校も、銀行も、郵便局も、スーパーも、観光案内所も。
良さんは宿探しに苦戦していた。ボウモア町内の、食事が美味しい、ツインベッドルーム。そんな条件の揃った宿はすでに何処も満室であった。
「ツインベッドが用意出来るのは、ポートエレイン方面に車で20分走った、マクリーホテルというところだけだって・・・」
(・・・マクリーホテル・・・マークリーホテル)わたしには何か引っ掛かるものがあった。
「!!!良さん、それって、土屋先生の本に書かれてた、土屋先生がスコッチに導かれるキッカケとなったホテルよ!あぁ、良さま。これはすべて運命よ。何故、いままで気づかなかったんでしょう。一連の流れはそこに行き着くように成っていたのよ。バッカスは、またしてもわたしたちを導いているのよ」
わたしは興奮すると、アン・シャーリー(赤毛のアン)的に、両手を胸の前で組み合わせ、一気にまくし立てる話し方をしてしまう。
良さんはわたしの興奮した背中をドウドウとなだめつつ、組み合わせた手に手を重ね宣言した。
「よし!マクリーホテルに決定だ!!!」
宿泊取り消しのため、ロッホサイドホテルに引き返すと、やっと到着し、ホテル前に自転車を止めようとしているピーターとラルフに出くわした。
「なんだ君達、ずいぶん遅かったじゃないか。先にバーでやってる筈じゃなかったのかい?車がパンクでもしたかい?それとも、一直線にピートにでも突っ込んだのかい?」
むむむ。彼等を余裕の態度で迎えるはずが、一足違いで先手を打たれてしまった。
「ああ。そうだ。ついでに、ピートを掘り出すのを手伝って来たのさ」
良さんがウインクをすると、両者はガハガハと笑って、再会の握手を交わした。
「僕等はこのホテルに泊まってるんだ。夕食のテーブルを予約してあるから、よかったら一緒にどうだい?」
(・・・りょ、りょ、りょーさん。このひとたち、あの狭いベッドに重なり合って寝てるのかしら?)(あのねふじこさん。僕たちは予約してなかったから、最後の空室であるシングルルームを案内されただけで、彼等はきちんと広めのツインルームとかを予約したのだと想うよ)
(そ、そーだね)
夕食をともにし、特に驚いたことが2つあった。ひとつは食欲である。体の大きな彼等が日がないちにち自転車をこいでいるのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、わたしたちがひとつの料理を分け合って食べてちょうど。あぁ、ごちそうさま。って感じの料理を、あくまで前菜のようにぺロっと平らげ、追加オーダーをどんどん入れてゆくのだ。彼等の胃袋は、少なく見積もっても、わたしたちの5倍のキャパを持っている。さすがはバイキングの末裔である。。

もうひとつは、ピーターが大変なアニメ好きで、日本のアニメをスエーデンに紹介するプロモーターの仕事をしており、特に『うる星やつら』の『ラム』ちゃんにぞっこっんであると告白したことであった。そして、「ほらねッ!」とズボンのすそをまくり上げ、ラムちゃん柄の靴下を見せてくれたのだった。
2008年06月30日
マクリーホテル
今や、日本に於けるスコッチ研究家の第一人者である土屋守氏は、http://www.scotchclub.org/profile.htm
ロンドンで日本語雑誌の編集部に勤務していた頃に、当時、マクリーホテルのオーナーであったマードー・マクファーソンから、アイラ島を雑誌に取り上げてみてはどうかというオファーを受け、そのホテルを訪れた。バーで、マードーにあてがわれるままグラスを重ね、したたかに酔ってベッドに入った彼は、喉の渇きに耐えられなくなって夜中に目覚める。しかし、水道をひねると茶色に濁った水しか出てこない。そんな水を口にするなんて、日本人の感覚では信じられず諦めようとしたが、渇きは限界に達し、とうとう一気に飲み干してしまうのである。それは冷たく柔らかい、太古の大地の匂いがするピートの水だったのだ。
(こんな美味しい水で仕込んだウヰスキーがまずいわけがない、スコッチのすべての蒸留所をこの眼でみてみたい)
そのようにして、彼はバスルームで衝撃的かつ運命的な「スコッチウヰスキーとの出会いの瞬間」を迎えた。
スコットランド旅の物語 (単行本(ソフトカバー)) より
土屋 守 (著)
バッカスの計らいにより、わたしたちは、モルトウヰスキー好きにとってバイブルのような彼の著書をなぞるように、その現場に投宿することとなった。(三蔵法師が歩いたシルクロードとか、松尾芭蕉の奥の細道とか、先駆者の軌跡を辿り、その想いを確認する旅というのは、どのようなパターンでも浪漫と夢を孕んでいるものですね)
(
荒涼としたピート湿原の上空に、『風と共に去りぬ』のタラのテーマがぴったりくるような、ドラマティックな夕焼けが広がる。わたしたちは、湿原を切り裂く一本道を辿り、マクリーホテルへ向う。視野に入るものは、大空と大地と、遠くにポツンと見えるホテルと想われる白い点だけである。大都会にいると、高い建物のせいで、空間の比率は、地7:空3ぐらいに感じてしまうが、ここは地1:空9ぐらいの感じである。 黄昏て、雲は刻々と色を変える。明るさと闇が鬩(せめ)ぎ合い、逆転し、気温も急激に下がってきた。
アプローチのゲートを通過したところで、暗闇にぼおっと浮かび上がる建物は、推理小説の舞台に適した、外界から遮断された館のごとくであり、都会の雑踏や喧騒に慣れきったわたしたちは、早くも心細さと緊張で、体が強張(こわば)ってゆくのであった。
バーにも食堂にも人の気配が無い。チェックインは済ませたものの、まさか、宿泊客はわたしたちだけなのか?予感を助長するように、渡されたキーの部屋まで、廊下の照明さえ点(とも)っていない。これはもしかして「ま、今晩はあなたたちだけだからね。節電に協力してね」という意味合いなのだろうか?
淋しいウエルカムに、ずっしりと重たくなった気持ちとトランクを引きずって、しぶしぶと部屋に入った。
・・・広い。・・・清潔で安全で広い。トランクはベッドの上に載せずともゆうに7個は広げられる。バスルームにだって3個は広げられる余裕があるではないか。室内は深いグリーンのタータンチェックと白でコーディネートされ、天井は高く、カーテンもたっぷりしている。わたしたちの不安は一気に払拭された。空調にも水回りにも問題は見受けられない。そして、いままでのB&Bには無かった文明の利器、テレビが設置されていた。何よりもまず、テレビのスイッチをオンして、ささやかに毒された日常を摂取すると、やっと世界からの疎外感が薄らいだ。
さっそく蛇口をひねり、茶色い水を飲んでみる。決して「**にちかい味」というように、独特な風味がするというのでは無い。強く香り立つピーティーさがあるという訳でもない。ただひたすらに柔らかく、細やかな細胞や髪の一本一本にまで行き届き、からだ全体が「甦る」のがはっきりと解かるのだ。
(あぁ、これは・・・。・・・人間も植物も死んで土に帰れば同じこと。そのような、太古の昔から変わらずに脈々と連鎖してきたはずの原始的な成分だよ。洗練されてしまった人間社会の何処かの時点で、亡くしてしまった味だよ)
初めて水を意識した時のヘレン・ケラーのように、わたしたちは、顔にぱしゃぱしゃしたり、何度も口に含んだりして、その感覚を楽しんだ。白いホーローのバスタブに湯を張ると、上等なダージリンのお風呂に入浴するような感慨深さもあった。
翌朝、階下へ降りてゆくと、ゴルフウェアに身を包んだ紳士たちがロビーにたむろしていた。
実はマクリーホテルはアイラ島で唯一のゴルフコースも携えており、ホテルの裏庭がコースである。と言っても、何の区切りも仕切りもあるわけではない。
そして、わずらわしい林や、いやらしい池や、信じられないサンド(砂場)は存在しないが、ピート湿原独特の、草の絡み合った強力なラフが存在する。
どうやらこの人々、ゴルフのために早寝早起きし、すでに朝食も済ませたようである。そのなかには、日本のS社のパーティも見受けられた。
そうなのだ。ゴルフの予定も無いのに、このホテルに宿泊したのが、わたしたちだけだったのだ。
みなさんがラウンドに出掛け、またもや人気(ひとけ)が無くなった食堂で、わたしたちは居残りを命ぜられた生徒のような気分で、朝食を取る羽目になったのである。あぁ、淋しい。
ロンドンで日本語雑誌の編集部に勤務していた頃に、当時、マクリーホテルのオーナーであったマードー・マクファーソンから、アイラ島を雑誌に取り上げてみてはどうかというオファーを受け、そのホテルを訪れた。バーで、マードーにあてがわれるままグラスを重ね、したたかに酔ってベッドに入った彼は、喉の渇きに耐えられなくなって夜中に目覚める。しかし、水道をひねると茶色に濁った水しか出てこない。そんな水を口にするなんて、日本人の感覚では信じられず諦めようとしたが、渇きは限界に達し、とうとう一気に飲み干してしまうのである。それは冷たく柔らかい、太古の大地の匂いがするピートの水だったのだ。
(こんな美味しい水で仕込んだウヰスキーがまずいわけがない、スコッチのすべての蒸留所をこの眼でみてみたい)
そのようにして、彼はバスルームで衝撃的かつ運命的な「スコッチウヰスキーとの出会いの瞬間」を迎えた。
スコットランド旅の物語 (単行本(ソフトカバー)) より
土屋 守 (著)
バッカスの計らいにより、わたしたちは、モルトウヰスキー好きにとってバイブルのような彼の著書をなぞるように、その現場に投宿することとなった。(三蔵法師が歩いたシルクロードとか、松尾芭蕉の奥の細道とか、先駆者の軌跡を辿り、その想いを確認する旅というのは、どのようなパターンでも浪漫と夢を孕んでいるものですね)
( 荒涼としたピート湿原の上空に、『風と共に去りぬ』のタラのテーマがぴったりくるような、ドラマティックな夕焼けが広がる。わたしたちは、湿原を切り裂く一本道を辿り、マクリーホテルへ向う。視野に入るものは、大空と大地と、遠くにポツンと見えるホテルと想われる白い点だけである。大都会にいると、高い建物のせいで、空間の比率は、地7:空3ぐらいに感じてしまうが、ここは地1:空9ぐらいの感じである。 黄昏て、雲は刻々と色を変える。明るさと闇が鬩(せめ)ぎ合い、逆転し、気温も急激に下がってきた。
アプローチのゲートを通過したところで、暗闇にぼおっと浮かび上がる建物は、推理小説の舞台に適した、外界から遮断された館のごとくであり、都会の雑踏や喧騒に慣れきったわたしたちは、早くも心細さと緊張で、体が強張(こわば)ってゆくのであった。
バーにも食堂にも人の気配が無い。チェックインは済ませたものの、まさか、宿泊客はわたしたちだけなのか?予感を助長するように、渡されたキーの部屋まで、廊下の照明さえ点(とも)っていない。これはもしかして「ま、今晩はあなたたちだけだからね。節電に協力してね」という意味合いなのだろうか?
淋しいウエルカムに、ずっしりと重たくなった気持ちとトランクを引きずって、しぶしぶと部屋に入った。
・・・広い。・・・清潔で安全で広い。トランクはベッドの上に載せずともゆうに7個は広げられる。バスルームにだって3個は広げられる余裕があるではないか。室内は深いグリーンのタータンチェックと白でコーディネートされ、天井は高く、カーテンもたっぷりしている。わたしたちの不安は一気に払拭された。空調にも水回りにも問題は見受けられない。そして、いままでのB&Bには無かった文明の利器、テレビが設置されていた。何よりもまず、テレビのスイッチをオンして、ささやかに毒された日常を摂取すると、やっと世界からの疎外感が薄らいだ。
さっそく蛇口をひねり、茶色い水を飲んでみる。決して「**にちかい味」というように、独特な風味がするというのでは無い。強く香り立つピーティーさがあるという訳でもない。ただひたすらに柔らかく、細やかな細胞や髪の一本一本にまで行き届き、からだ全体が「甦る」のがはっきりと解かるのだ。
(あぁ、これは・・・。・・・人間も植物も死んで土に帰れば同じこと。そのような、太古の昔から変わらずに脈々と連鎖してきたはずの原始的な成分だよ。洗練されてしまった人間社会の何処かの時点で、亡くしてしまった味だよ)
初めて水を意識した時のヘレン・ケラーのように、わたしたちは、顔にぱしゃぱしゃしたり、何度も口に含んだりして、その感覚を楽しんだ。白いホーローのバスタブに湯を張ると、上等なダージリンのお風呂に入浴するような感慨深さもあった。
翌朝、階下へ降りてゆくと、ゴルフウェアに身を包んだ紳士たちがロビーにたむろしていた。
実はマクリーホテルはアイラ島で唯一のゴルフコースも携えており、ホテルの裏庭がコースである。と言っても、何の区切りも仕切りもあるわけではない。
そして、わずらわしい林や、いやらしい池や、信じられないサンド(砂場)は存在しないが、ピート湿原独特の、草の絡み合った強力なラフが存在する。
どうやらこの人々、ゴルフのために早寝早起きし、すでに朝食も済ませたようである。そのなかには、日本のS社のパーティも見受けられた。
そうなのだ。ゴルフの予定も無いのに、このホテルに宿泊したのが、わたしたちだけだったのだ。
みなさんがラウンドに出掛け、またもや人気(ひとけ)が無くなった食堂で、わたしたちは居残りを命ぜられた生徒のような気分で、朝食を取る羽目になったのである。あぁ、淋しい。
2008年06月30日
BOWRORE
丁寧に淹れられた良い出来ばえのコーヒー、見通しの明るい天気予報、やわらかな日溜まりで毛繕いをする猫。それらはわたしにとって、平凡な朝の始まりが、穏やかさと安堵感に満ちたものであることを予感させてくれる。
そしてこの日、ボウモア蒸留所ビジターセンター入り口では、ウヰスキー・キャットの『スモーキー』が、名前どおりのくすんだ灰色の体毛を朝の光に翳し、
人間にはまねが出来かねる無茶な体勢を極めて、毛繕いに没頭していた。
「スモ~キ~。スモ~キ~。」
わたしは猫撫で声で近づいて意志の疎通を試みたが、きれいに無視である。日本人スタッフ(*注:ボウモアはサントリー社の傘下にあります)が流暢な英語で本日のご機嫌伺いをすると、スモーキーは眉をくいっと動かして、ん、まあ、悪くないよと返事をした。
継いで日本人スタッフは、わたしたちにも英語でご機嫌伺いをしてくれた。
「Good morning ! How are you?」(ウインク)
アイラ島に於いて美味しいコーヒーを望むのは難しいが、空は澄み渡り、機嫌の悪くない猫には遭遇した。いちにちの出だしとしてはまあまあである。
「Good morning. Fine thank you!」(ウインク)
アイラ島の中心部に所在し、アイラモルトのスタンダードと評されるボウモアは、
「ウヰスキーの島に来たんだから、まぁ一箇所ぐらい立ち寄るなら、ここにしとこうか」といった、通りすがり的一般観光客が多いので、まずは15分ほどの教科書的プロモーションビデオにより、創業からの歴史、製造のこだわり、繁栄と経営の難しさ、今後のヴィジョンなどがガイドされ、そののち、例によって製造工程をひと通り見てまわる。
檻で隔離された手の届かない貯蔵庫の奥には、オールド・ヴィンテージや、記念もの、限定ものなど、お宝樽が積み上げられているのが垣間見える。これらが市場に出てくるのは、果たしていつのことだろう。流通する時期がきても入手は困難な筈である。何年後かに、運良くモルトバーで、ワンフィンガーぶんぐらい楽しめればラッキーであろう。
それにしても、昨今の流通システムは脱帽ものだ。ここで造られた定番のウヰスキーなら、時を経て、地球を半周もした国の、たいていの酒屋やバーの棚に並ぶのだから。そしてそれは、品質も価格も安定しているウヰスキーの特性と、水割りをはじめとして、ウヰスキーを嗜む人が多いといった、日本ならではの事情が融合しあってのことだ。
ティスティングルームの窓からは、ボウモアの浜が見える。少し雲が広がってきた空に、何羽ものカモメが飛び交う。ボウモアのラベルに描かれている、あのカモメである。わたしはグラスを空へ掲げて遠くのカモメを拝借し、グラスのなかを舞う情景を楽しんでみる。浜へ降りた一羽のカモメは、波に打ち上げられた海藻を、ツツッとつまんで食べた。波は静かに寄せては返し、カモメの足を洗う。そんなのをぼんやり見ながら、またウヰスキーをちびりとやる。・・・浪漫である。
良さんはささやかに、ボウモアカモメのタイピンとカフスを購入。
ビジターセンターの顔であり、世話好きな親日家のクリスティーンに、からからせんべいを差し上げたら、お返しにと、ミニチュア・ボトルを頂いた。
そしてこの日、ボウモア蒸留所ビジターセンター入り口では、ウヰスキー・キャットの『スモーキー』が、名前どおりのくすんだ灰色の体毛を朝の光に翳し、
人間にはまねが出来かねる無茶な体勢を極めて、毛繕いに没頭していた。
「スモ~キ~。スモ~キ~。」
わたしは猫撫で声で近づいて意志の疎通を試みたが、きれいに無視である。日本人スタッフ(*注:ボウモアはサントリー社の傘下にあります)が流暢な英語で本日のご機嫌伺いをすると、スモーキーは眉をくいっと動かして、ん、まあ、悪くないよと返事をした。
継いで日本人スタッフは、わたしたちにも英語でご機嫌伺いをしてくれた。
「Good morning ! How are you?」(ウインク)
アイラ島に於いて美味しいコーヒーを望むのは難しいが、空は澄み渡り、機嫌の悪くない猫には遭遇した。いちにちの出だしとしてはまあまあである。
「Good morning. Fine thank you!」(ウインク)
アイラ島の中心部に所在し、アイラモルトのスタンダードと評されるボウモアは、
「ウヰスキーの島に来たんだから、まぁ一箇所ぐらい立ち寄るなら、ここにしとこうか」といった、通りすがり的一般観光客が多いので、まずは15分ほどの教科書的プロモーションビデオにより、創業からの歴史、製造のこだわり、繁栄と経営の難しさ、今後のヴィジョンなどがガイドされ、そののち、例によって製造工程をひと通り見てまわる。
檻で隔離された手の届かない貯蔵庫の奥には、オールド・ヴィンテージや、記念もの、限定ものなど、お宝樽が積み上げられているのが垣間見える。これらが市場に出てくるのは、果たしていつのことだろう。流通する時期がきても入手は困難な筈である。何年後かに、運良くモルトバーで、ワンフィンガーぶんぐらい楽しめればラッキーであろう。
それにしても、昨今の流通システムは脱帽ものだ。ここで造られた定番のウヰスキーなら、時を経て、地球を半周もした国の、たいていの酒屋やバーの棚に並ぶのだから。そしてそれは、品質も価格も安定しているウヰスキーの特性と、水割りをはじめとして、ウヰスキーを嗜む人が多いといった、日本ならではの事情が融合しあってのことだ。
ティスティングルームの窓からは、ボウモアの浜が見える。少し雲が広がってきた空に、何羽ものカモメが飛び交う。ボウモアのラベルに描かれている、あのカモメである。わたしはグラスを空へ掲げて遠くのカモメを拝借し、グラスのなかを舞う情景を楽しんでみる。浜へ降りた一羽のカモメは、波に打ち上げられた海藻を、ツツッとつまんで食べた。波は静かに寄せては返し、カモメの足を洗う。そんなのをぼんやり見ながら、またウヰスキーをちびりとやる。・・・浪漫である。 良さんはささやかに、ボウモアカモメのタイピンとカフスを購入。
ビジターセンターの顔であり、世話好きな親日家のクリスティーンに、からからせんべいを差し上げたら、お返しにと、ミニチュア・ボトルを頂いた。
2008年06月30日
カラフト・ケチン
さて、どうしても試してみたい願いのひとつに、アイラ島産の牡蠣にアイラモルトをたらり、として食べる。というのがあった。
早速、ボウモア町の雑貨屋の前で荷物の積み下ろしをしている、地元のお兄さんに声をかけてみた。
「あのう、アイラ島でオイスターを食べられるとこって、何処かありませんか?」
「あんんっ?」作業の手が止まり、わたしたちは、怪訝な表情でみつめられた。
「オイスターです。オイスターが食べたいんですけど、どこか、知りませんか?」
彼は仕事の手を止め、上半身全体を揺らして、大きくうなずいた。
「あ~あ、そいづぁ、カラフト・ケチンだぁ」
「カラフト・ケチン?」(これ、ゲール語?)
「んだぁ。カラフト・ケチンだぁ」・・・ふたりで、顔を見合わせた。
「カラフト・ケチン・・・ねぇ・・・?」
(!!!)東京的標準語と、浜通り東北弁とのバイリンガルであるわたしの脳に、シナプスが走った。
(良さま、わたしには解かった!通訳するとね、「クラフト・キッチン」と言ってる)
クラフト・キッチンは、ボウモアから湾をぐるりと挟んで向かい側、ブルイック・ラディ蒸留所の近くにあるらしい。
ボウモア郊外は、軽井沢の別荘地のように、木立に囲まれた閑静な地区で、木立を抜ければ一転して牧草地となる。
そこに、「人間の生活のために、便宜上アスファルトの道路を通しちゃって、ごめんね、牛さん、羊さん」という謙虚な姿勢で道路が存在している状態なので、ゆっくりのスピードであれ、車が通ると、のんびりと時間をやり過ごしている羊たちは、ブーイングをあげつつ、いっせいに車の前を走り出すのである。
こっちにしてみたら、「危ないよー。そこのけ、そこのけ、車が通る」なんだけれど、羊たちは車を避けて左右に分かれて走ることを知らない。ただひたすら、パニックを起して車を振り返りながら、必死の形相で走るのだ。
「前を走るな、ばか羊~!」徐行運転を余儀なくされ、良さんが悪態を吐く。距離が行けば、羊の数はどんどん増していくばかり。しかし、羊年生まれで、つねづね「ボクの前世は羊かも・・・」なぞと言ってる良さんは、逃げる術を知らない羊たちが気の毒になったのか、羊に自分を重ね合わせて見てしまったのか、神妙な面持ちで、ぴたっ、と車を止めた。
一瞬にしてパニックから開放された羊たちは、「あれっ、どうしたのさ?」という感じで、集団で良さんの様子をうかがっている。何十匹もの羊にいっせいに見つめられるというのも、なかなかシュールである。
不意をつく間合いをとって、良さんは、羊たちに向って「ダァー」とか「ダダダダダァ」と突進しながら、シープ・ドックよろしく、自分で左右に追い払いだした。羊たちも、この奇襲攻撃には度肝を抜かれたらしく「ウメメメメメェ」と、ちりじりに逃げてゆく。
「ふじこさん、今のうち。さ、はやく、車に乗って」
「合点だ。親分」
クラフト・キッチンは、平屋建ての簡素な食堂といった趣であるが、土産物屋も兼ねているし、島の風景をスケッチした絵を集めたギャラリーでもあった。
黒板の、今日のメニューを吟味していると、
「決まったべが?何、食べんのっしゃ?」と、ミックジャガーを太らせたような叔母さんが聞いてきた。(ちなみに、髪型もミックです)
「オイスター!」
「アー、今日は、牡蠣は無いのさ。まぁ、ほがにも、いろいろあっからねぇ、裏さ来て、あんだの食べたいの、選らばぃん」
(初めての感覚だった。英語が、英語と意識することなく、日本語で会話してるかのように、解かるのだ。もちろん、訛り具合まで)
わたしは、ミック叔母さんの後をついて行った。厨房には青年と、娘さんがふたり。みんなタータンチェックのパッチワークがアクセントの、お揃いのエプロンを着けている。お父さんらしきひとの姿はみえないけれど、きっと、漁に出ているだけで、家族5人での経営なのだろう。
叔母さんは、冷蔵庫から発泡スチロールのトロ箱を取り出し、ステンレスの台に並べて、食材を見せてくれた。サーモンや白身魚は、フィッシュ&チップスになるのだろうからやめて、わたしは大海老のワイン蒸しをオーダーした。
良さんは路線を変更し、シェパーズ・パイ(*メイン食材:羊の挽肉)をオーダーして、ここで仇を討つつもりらしかった。
料理は、わたしの母がつくるスタイルと似ている。星がつくほど、飛びぬけてすっごく美味しいということは無いのだけれど、ひと手間を惜しまずつくられているので、食べ終わった時に素直に、美味しかったね、といえる味。つまりはやはり、おふくろの味ということか。
そんな味を求めて、わたしたちが食べ終える頃には、誰もいなかったテーブルが満席となっていた「どうも、ご親切にありがとうございました~。美味しかったです~」と席を立つと
「まだ、ございねぇ(いらっしゃいねぇ)」と、ミック叔母さんの、屈託の無い微笑とウインクが返ってきた。
(きっと、また、来るよ~。きっとね~)
早速、ボウモア町の雑貨屋の前で荷物の積み下ろしをしている、地元のお兄さんに声をかけてみた。
「あのう、アイラ島でオイスターを食べられるとこって、何処かありませんか?」
「あんんっ?」作業の手が止まり、わたしたちは、怪訝な表情でみつめられた。
「オイスターです。オイスターが食べたいんですけど、どこか、知りませんか?」
彼は仕事の手を止め、上半身全体を揺らして、大きくうなずいた。
「あ~あ、そいづぁ、カラフト・ケチンだぁ」
「カラフト・ケチン?」(これ、ゲール語?)
「んだぁ。カラフト・ケチンだぁ」・・・ふたりで、顔を見合わせた。
「カラフト・ケチン・・・ねぇ・・・?」
(!!!)東京的標準語と、浜通り東北弁とのバイリンガルであるわたしの脳に、シナプスが走った。
(良さま、わたしには解かった!通訳するとね、「クラフト・キッチン」と言ってる)
クラフト・キッチンは、ボウモアから湾をぐるりと挟んで向かい側、ブルイック・ラディ蒸留所の近くにあるらしい。
ボウモア郊外は、軽井沢の別荘地のように、木立に囲まれた閑静な地区で、木立を抜ければ一転して牧草地となる。
そこに、「人間の生活のために、便宜上アスファルトの道路を通しちゃって、ごめんね、牛さん、羊さん」という謙虚な姿勢で道路が存在している状態なので、ゆっくりのスピードであれ、車が通ると、のんびりと時間をやり過ごしている羊たちは、ブーイングをあげつつ、いっせいに車の前を走り出すのである。こっちにしてみたら、「危ないよー。そこのけ、そこのけ、車が通る」なんだけれど、羊たちは車を避けて左右に分かれて走ることを知らない。ただひたすら、パニックを起して車を振り返りながら、必死の形相で走るのだ。
「前を走るな、ばか羊~!」徐行運転を余儀なくされ、良さんが悪態を吐く。距離が行けば、羊の数はどんどん増していくばかり。しかし、羊年生まれで、つねづね「ボクの前世は羊かも・・・」なぞと言ってる良さんは、逃げる術を知らない羊たちが気の毒になったのか、羊に自分を重ね合わせて見てしまったのか、神妙な面持ちで、ぴたっ、と車を止めた。
一瞬にしてパニックから開放された羊たちは、「あれっ、どうしたのさ?」という感じで、集団で良さんの様子をうかがっている。何十匹もの羊にいっせいに見つめられるというのも、なかなかシュールである。
不意をつく間合いをとって、良さんは、羊たちに向って「ダァー」とか「ダダダダダァ」と突進しながら、シープ・ドックよろしく、自分で左右に追い払いだした。羊たちも、この奇襲攻撃には度肝を抜かれたらしく「ウメメメメメェ」と、ちりじりに逃げてゆく。
「ふじこさん、今のうち。さ、はやく、車に乗って」
「合点だ。親分」
クラフト・キッチンは、平屋建ての簡素な食堂といった趣であるが、土産物屋も兼ねているし、島の風景をスケッチした絵を集めたギャラリーでもあった。 黒板の、今日のメニューを吟味していると、
「決まったべが?何、食べんのっしゃ?」と、ミックジャガーを太らせたような叔母さんが聞いてきた。(ちなみに、髪型もミックです)
「オイスター!」
「アー、今日は、牡蠣は無いのさ。まぁ、ほがにも、いろいろあっからねぇ、裏さ来て、あんだの食べたいの、選らばぃん」
(初めての感覚だった。英語が、英語と意識することなく、日本語で会話してるかのように、解かるのだ。もちろん、訛り具合まで)
わたしは、ミック叔母さんの後をついて行った。厨房には青年と、娘さんがふたり。みんなタータンチェックのパッチワークがアクセントの、お揃いのエプロンを着けている。お父さんらしきひとの姿はみえないけれど、きっと、漁に出ているだけで、家族5人での経営なのだろう。
叔母さんは、冷蔵庫から発泡スチロールのトロ箱を取り出し、ステンレスの台に並べて、食材を見せてくれた。サーモンや白身魚は、フィッシュ&チップスになるのだろうからやめて、わたしは大海老のワイン蒸しをオーダーした。
良さんは路線を変更し、シェパーズ・パイ(*メイン食材:羊の挽肉)をオーダーして、ここで仇を討つつもりらしかった。
料理は、わたしの母がつくるスタイルと似ている。星がつくほど、飛びぬけてすっごく美味しいということは無いのだけれど、ひと手間を惜しまずつくられているので、食べ終わった時に素直に、美味しかったね、といえる味。つまりはやはり、おふくろの味ということか。

そんな味を求めて、わたしたちが食べ終える頃には、誰もいなかったテーブルが満席となっていた「どうも、ご親切にありがとうございました~。美味しかったです~」と席を立つと
「まだ、ございねぇ(いらっしゃいねぇ)」と、ミック叔母さんの、屈託の無い微笑とウインクが返ってきた。
(きっと、また、来るよ~。きっとね~)
2008年06月30日
BRUICH LADDICH
ブルイックラディのボトルラベルは、美しい水色である。そして、ブルイックラディ蒸留所の白い建物の窓枠も、ブルイック・ブルーであった。 2001年春、やっと操業が再開されたばかりとういことで、まだ見学ツアーは行なわれていない。かろうじて、ティスティング・ルームだけが開放されていると聞き、運動部の部室のような、離れの建物の二階へ上がった。
・・・背を向けていても見覚えがある、ウルフの赤毛&禿げ頭。ピーターの金髪。やれやれ、またここでもふたり揃ってカウンターに向かい、小難しい顔をして、ウヰスキーのブーケを分析しているではないか。
「ダーリン、なにしてるっちゃ?」わたしが、うる星やつらのラムちゃんのものまねで声を掛けると、身体をねじってウルフは右に、ピーターは左に振り向いた。そして彼等も大袈裟なゼスチャアでオテアゲし、やれやれまた君たちか、というふうに眉をあげ、天を仰ぐのだった。
「まあまあ、ここに座れよ」と、ラルフがスツールをポンポンと叩いてわたしたちの着席を促し、席をふたつぶん左に移動し、スペースをつくってくれた。
テイスティングルームの女の子も、ささっと、わたしたちの前に、ブルイック・ラディの入ったグラスを置いてくれた。
「では、我々の強ーい絆に・・・」と、ピーターがグラスを頭の高さまで掲げたので、各々がグラスを取って合言葉を述べた。
「スランジ・バー!」「スランジ・バー!」
スランジ・バー(Slainte Vhar)とは、ゲール語で乾杯の意。なんでも、「スランジ」でGood health、「スランジ・ボー」でVery Good health、「スランジ・バー」でVery Very Good healthということだから、最上級で健康を祝してるわけで、その昔からウヰスキー(Uisge beatha)が『生命の水』と崇められてきた由縁がうかがえる。
「実はね、僕等はブルイックを『樽買い』したんだ」ピーターがぼそっとつぶやいた。
(!!!)「樽買い!?」
「そう、樽買い」
『樽買い』とは、容量250Lのホグスヘット樽、まんま、ひと樽購入することである。エンジェルス・シェアを考慮してもウヰスキーの瓶に換算して約30本分。ウヰスキーラバーなら、一度は実行してみたい、豪儀な買い方である。
「僕等は、これからも毎年、夏にはアイラ島に来るつもりだし、閉鎖の危機から脱したブルイックを、応援したい気持ちもあるからね」
ウヰスキーを取り巻く時間は、メトロノームを一番ゆっくりと設定したレントだ。ちょっとしたエピソードでさえ、スロー、スローに流れる時間の間合いの中で熟成し、プレミアムな浪漫と伝説となる。
ティスティングは、『ブルイック・ラディ10years』。アイラ島のシングル・モルトを思う時、まず潮臭さとピート臭、そして、荒々しさ、素朴さ、などが浮ぶが、ブルイックは、ピートをほとんど焚いてないので、その印象は、まったく対極である。微風にきらめく透明度の高い湖。パッと人目を惹くというよりは、向かい合って言葉を交わした後に、あぁ、知的で美しい人だったなぁと、清々しさが残る30代の女性という感じ。だから、特に女性にお薦めしたいモルトだ。
ピーターは、ディストラリー巡りにおける、もうひとつの楽しみ方として、各蒸留所のロゴが入ったTシャツを買い求め、コレクションしている。ディストラリーを自転車で移動する間に汗だくになるものだから、訪れた先々ですぐにTシャツを買って着替えるのだ。一石二鳥?である。(わたしたちも購入したいのはやまやまだけれど、サイズはワンサイズのみで、大きすぎて妥当ではない)しかし、今日の彼はお約束のロゴ入りTシャツを着ていない。
「あらピーター。今日は、お着替えはまだ?」と、疑問を投げると、彼はディパックの中からビニール袋を取り出して、なかのものを広げた。
「むふふ、これはオータムコレクションだ」
・・・なるほど。それはブルイック・ラディのロゴ入りの、分厚いトレーナーであった。
2008年06月30日
Bunahabun
ブルイック・ラディ蒸留所から「A846」を北東へ20Km弱、キエルという小さな集落を過ぎたら国道を離れる。そこから、対向車があればどちらかが後退して譲らなければならないような道を、北へさらに5Km。
ブナハーブン蒸留所の看板は、わたしたちの身長よりも高さのある岩礁の上に、威風堂々と設置されていた。。
ボトルラベルそのままに描かれている船乗りは、ピーコートに、タータンチェックの毛糸のベレー帽、たなびくマフラーに身を包み、防寒の意味もあって髭は伸ばし放題。そして、はじける飛沫を遮るように、または波浪の険しさを訝るように、右手を翳して海の彼方を眺めている。銅版画のタッチだが、その色彩と光景がありありと感じられる。
わたしの父がまだ船乗りだった頃、いつ命を落としてもおかしくない海の仕事は、陸で待つ家族の気持ちの隅に、常に小さな不安の肝をもたらしていて、特にオホーツクの海で「200海里問題」が浮上し始めたあたり、きな臭い領域で、2、3ヶ月ものあいだ寄港せずに続くスケソウダラ漁は、当時、本当に頻繁に「ソ連」に拿捕されてしまう漁船が相継いだりして、こちらもだいぶ緊張を強いられた。
わたしは小学校の低学年で、夜7時ぐらいからのテレビ番組を見たくてしょうがないのに、その時間帯にはラジオで「漁船操業放送」なるものがあって、母は、母の特権で、毎夜テレビをバチンと消し、6畳2間の家の中で、いちばん電波が入りやすいと信じられていた北側の部屋の、タンスの上に置かれた聞き取りにくいラジオのツマミを、こまめに左右に動かし、音の悪さにイライラしながら、周波数を拾っていた。
それがどういう儀式なのか解かろう筈もない弟は、「シーッ!」とたしなめられ、耳を引っ張られたり、お尻を叩かれたりしても、母の気を引こうと、うるさく騒ぐし、背中におんぶされた小さい妹は、赤ん坊ならではにむずかって、母のイライラを助長させていた。わたしはすべてにハラハラしながら、息をひそめて母の顔色を窺っていたものである。
知らない国の言葉が暗号のように流れてきたり、通信講座のようなものが聞こえたりする。そんな電波の隙間から、父が乗った船の、今日の状況が読み伝えられる。
「・・・石巻港出航、第31共勝丸、オホーツク海で操業中・・・」
辛抱強く聞き入って、安否の確認が出来るのはこれだけである。それでも耳障りな音が切られ、母の表情に安堵の色が広がるのが嬉しかった。
ブナハーブンのラベルに記された一行、「Westering Home(西の故郷へ)」というフレーズに込められた意味を噛み締めると、そんな昔の光景が甦ってきて、なんだか、数多あるウヰスキーの中でも、わたしにとっては、特別に心が寄り添ってしまうウヰスキーである。
まるで、船乗りのためにあるようなブナハーブンは、意外にも、アイラモルトの中で最も軽やかだと言われるが、それはむしろ、孤立した海上で、過酷な仕事に従事する男性にとって、静かな安らぎとなったのではないだろうか。
ブナハーブン蒸留所が操業停止中だということは承知の上で訪れたのであるが、案の定、鉄柵の門戸は固く閉ざされていた。
しかし、「せめてディストラリーの全景をカメラに収めたいね」ということで、要塞のごとき岩礁をよじ登り、不法侵入的に敷地の内側に降り立った。
辺鄙な場所ゆえ、職人やゲスト用の住居も併設されているというから、建物の規模も大きく、操業していれば生産量も巨大な蒸留所である。けれども奥の事務所らしき棟の前に、車が駐車してあっても、人影はなく、音のひとつも漏れ聞こえてはこない。
樽の作業場では、「仕事の途中で人間だけが何処かにワープしちゃったのかしらん?」というぐらい、道具類が無造作に散らばったままであり、部屋の隅には、錆付いたタガ(帯鉄)が、なにかの時のためにと取ってある輪ゴムのように集められ、放置されていた。堤防そばに適当に積まれた樽だけが、潮風と長い時間に晒されて、ただただ静かに、メンテナンスの手がかかる日を、気長に待っているのだった。
(今度来たときには、再稼動してるといいね)(岩によじ登らなくてすむといいよね)
ブナハーブン蒸留所の看板は、わたしたちの身長よりも高さのある岩礁の上に、威風堂々と設置されていた。。
ボトルラベルそのままに描かれている船乗りは、ピーコートに、タータンチェックの毛糸のベレー帽、たなびくマフラーに身を包み、防寒の意味もあって髭は伸ばし放題。そして、はじける飛沫を遮るように、または波浪の険しさを訝るように、右手を翳して海の彼方を眺めている。銅版画のタッチだが、その色彩と光景がありありと感じられる。
わたしの父がまだ船乗りだった頃、いつ命を落としてもおかしくない海の仕事は、陸で待つ家族の気持ちの隅に、常に小さな不安の肝をもたらしていて、特にオホーツクの海で「200海里問題」が浮上し始めたあたり、きな臭い領域で、2、3ヶ月ものあいだ寄港せずに続くスケソウダラ漁は、当時、本当に頻繁に「ソ連」に拿捕されてしまう漁船が相継いだりして、こちらもだいぶ緊張を強いられた。
わたしは小学校の低学年で、夜7時ぐらいからのテレビ番組を見たくてしょうがないのに、その時間帯にはラジオで「漁船操業放送」なるものがあって、母は、母の特権で、毎夜テレビをバチンと消し、6畳2間の家の中で、いちばん電波が入りやすいと信じられていた北側の部屋の、タンスの上に置かれた聞き取りにくいラジオのツマミを、こまめに左右に動かし、音の悪さにイライラしながら、周波数を拾っていた。
それがどういう儀式なのか解かろう筈もない弟は、「シーッ!」とたしなめられ、耳を引っ張られたり、お尻を叩かれたりしても、母の気を引こうと、うるさく騒ぐし、背中におんぶされた小さい妹は、赤ん坊ならではにむずかって、母のイライラを助長させていた。わたしはすべてにハラハラしながら、息をひそめて母の顔色を窺っていたものである。
知らない国の言葉が暗号のように流れてきたり、通信講座のようなものが聞こえたりする。そんな電波の隙間から、父が乗った船の、今日の状況が読み伝えられる。
「・・・石巻港出航、第31共勝丸、オホーツク海で操業中・・・」
辛抱強く聞き入って、安否の確認が出来るのはこれだけである。それでも耳障りな音が切られ、母の表情に安堵の色が広がるのが嬉しかった。
ブナハーブンのラベルに記された一行、「Westering Home(西の故郷へ)」というフレーズに込められた意味を噛み締めると、そんな昔の光景が甦ってきて、なんだか、数多あるウヰスキーの中でも、わたしにとっては、特別に心が寄り添ってしまうウヰスキーである。
まるで、船乗りのためにあるようなブナハーブンは、意外にも、アイラモルトの中で最も軽やかだと言われるが、それはむしろ、孤立した海上で、過酷な仕事に従事する男性にとって、静かな安らぎとなったのではないだろうか。
ブナハーブン蒸留所が操業停止中だということは承知の上で訪れたのであるが、案の定、鉄柵の門戸は固く閉ざされていた。
しかし、「せめてディストラリーの全景をカメラに収めたいね」ということで、要塞のごとき岩礁をよじ登り、不法侵入的に敷地の内側に降り立った。
辺鄙な場所ゆえ、職人やゲスト用の住居も併設されているというから、建物の規模も大きく、操業していれば生産量も巨大な蒸留所である。けれども奥の事務所らしき棟の前に、車が駐車してあっても、人影はなく、音のひとつも漏れ聞こえてはこない。
樽の作業場では、「仕事の途中で人間だけが何処かにワープしちゃったのかしらん?」というぐらい、道具類が無造作に散らばったままであり、部屋の隅には、錆付いたタガ(帯鉄)が、なにかの時のためにと取ってある輪ゴムのように集められ、放置されていた。堤防そばに適当に積まれた樽だけが、潮風と長い時間に晒されて、ただただ静かに、メンテナンスの手がかかる日を、気長に待っているのだった。 (今度来たときには、再稼動してるといいね)(岩によじ登らなくてすむといいよね)
2008年06月30日
CAOL ILA
カリラ蒸留所はブナハーブン蒸留所から3Km戻った辺り。来訪者を迎えるのは、門柱代わりのカリラのシンボル、アザラシのモニュメントである。
さて、各蒸留所には、来訪者の記録をとるためにゲストブックが用意してあるのだが、わたしたちには、とてもとても気になる存在の人がいた。わたしたちがアイラ島で訪れるディストラリーの、いつも2、3組前に、名前が記されている、ミスター吉田。アイラ島に滞在中、いちどぐらいは御顔を拝見し、同胞のよしみで、やあやあと、ウヰスキーを酌み交わす機会があるだろうと踏んでいたのに、ついに、蒸留所巡りの最終となるこの蒸留所にも、車のブレーキ痕のようなサインだけを残し、すでに彼の姿は無かった。もしや、間に合うかとホームに駆け上がってみたら、たったいま出てしまった新幹線が巻き上げるつむじ風だけを見送るような、一陣の寂しさを感じずにはいられない。
・・・それにしても、島を廻るには、規定量内飲酒なら自主運転、道徳的観念を重んじる方ならタクシー、そして、バイキングなら自転車だけれど・・・
「ねぇ、良さま。一本道の、いったい何処ですれ違ったのかしらん?」
「山男ならハイキング、水泳の選手なら海からという手もあるぞ」
いずれにしろ、きっと彼もまた、会社の夏休みを利用して聖地巡礼の旅に出た、独身貴族の一匹狼的ウヰスキーラバーだろう。
開高健氏のエッセイに『ウヰスキーは人を沈思させ、コニャックは華やがせ、ぶどう酒はおしゃべりにさせる』とあるが、そうなのだ、ウヰスキーに手が伸びるとき、人は、孤高で、虚弱で、内に抱えた過分な気持ちを持て余し、腐敗し、打開と、守護を求めているものだ。しかるに、群れを好むウヰスキー飲みはいないのである。・・・群れを好む釣り人がいないように。結局は、個々の指先の、酒と、魚と、対峙するのだから。
カラマツの発酵槽の中で泡立つものを、じっと見ていると、意識はそんな思考の襞に入り込んでゆく。
良さんは、スピリッツレシーバーを操作しているスコッツに、またしてもニッカの原酒を振る舞っている。果たして、ウヰスキーを勧めて遠慮する輩が、この地にいるのだろうか?勧めれば、赤ら顔をほころばせ、おおそうかと、瓶をくわえてラッパのみする方々ばかりである。しかし、一旦ウヰスキーを口に含めば、忽ちプロフェッショナルの顔になって液体をゆっくり転がし、味蕾のひとつひとつに行き渡らせて、たっぷりの間合いを取って真剣に評価する。
「これは本当に日本のウヰスキーなのか?」
彼は不安と喜びの気持ちで、おそるおそる尋ねてくる。
「YES」
・・・知るはずもなかった真実を告げられたように、小さく息を呑んで、大きく眼を見開く。
なんだか「君は本当にわたしの息子なのか?」「ええ、僕はあなたの息子です」みたいなやり取りに近いんじゃないか。
ティスティングは『CAOL ILA 15years』。バニラ、バタークッキー、パン屋のオーブンから漂う香り。それと、超ビターチョコを齧った感じと、少しだけシナモンのニュアンス。鼻と喉の分かれ目で、ぴりりとスパイシーな粒子が広がる。宝塚の男優のようなユニセックスなイメージ。
敷地を出ていちばん近所の家の窓から、、
こちらを観察する視線を感じて振り向くと白い壁に黒い窓枠、それに同化して、白いシャツに黒いタキシードを着た猫が、執事のように待機していた先程グラスを交えた、ほろ酔い加減の売店のおじさんが、車で1分の坂道を、ランチのために運転して帰宅したのだ。
執事は俊敏に窓を離れ、姿勢を正して、主人を出迎えた。
さて、各蒸留所には、来訪者の記録をとるためにゲストブックが用意してあるのだが、わたしたちには、とてもとても気になる存在の人がいた。わたしたちがアイラ島で訪れるディストラリーの、いつも2、3組前に、名前が記されている、ミスター吉田。アイラ島に滞在中、いちどぐらいは御顔を拝見し、同胞のよしみで、やあやあと、ウヰスキーを酌み交わす機会があるだろうと踏んでいたのに、ついに、蒸留所巡りの最終となるこの蒸留所にも、車のブレーキ痕のようなサインだけを残し、すでに彼の姿は無かった。もしや、間に合うかとホームに駆け上がってみたら、たったいま出てしまった新幹線が巻き上げるつむじ風だけを見送るような、一陣の寂しさを感じずにはいられない。 ・・・それにしても、島を廻るには、規定量内飲酒なら自主運転、道徳的観念を重んじる方ならタクシー、そして、バイキングなら自転車だけれど・・・
「ねぇ、良さま。一本道の、いったい何処ですれ違ったのかしらん?」
「山男ならハイキング、水泳の選手なら海からという手もあるぞ」
いずれにしろ、きっと彼もまた、会社の夏休みを利用して聖地巡礼の旅に出た、独身貴族の一匹狼的ウヰスキーラバーだろう。
開高健氏のエッセイに『ウヰスキーは人を沈思させ、コニャックは華やがせ、ぶどう酒はおしゃべりにさせる』とあるが、そうなのだ、ウヰスキーに手が伸びるとき、人は、孤高で、虚弱で、内に抱えた過分な気持ちを持て余し、腐敗し、打開と、守護を求めているものだ。しかるに、群れを好むウヰスキー飲みはいないのである。・・・群れを好む釣り人がいないように。結局は、個々の指先の、酒と、魚と、対峙するのだから。
カラマツの発酵槽の中で泡立つものを、じっと見ていると、意識はそんな思考の襞に入り込んでゆく。
良さんは、スピリッツレシーバーを操作しているスコッツに、またしてもニッカの原酒を振る舞っている。果たして、ウヰスキーを勧めて遠慮する輩が、この地にいるのだろうか?勧めれば、赤ら顔をほころばせ、おおそうかと、瓶をくわえてラッパのみする方々ばかりである。しかし、一旦ウヰスキーを口に含めば、忽ちプロフェッショナルの顔になって液体をゆっくり転がし、味蕾のひとつひとつに行き渡らせて、たっぷりの間合いを取って真剣に評価する。
「これは本当に日本のウヰスキーなのか?」
彼は不安と喜びの気持ちで、おそるおそる尋ねてくる。
「YES」
・・・知るはずもなかった真実を告げられたように、小さく息を呑んで、大きく眼を見開く。
なんだか「君は本当にわたしの息子なのか?」「ええ、僕はあなたの息子です」みたいなやり取りに近いんじゃないか。
ティスティングは『CAOL ILA 15years』。バニラ、バタークッキー、パン屋のオーブンから漂う香り。それと、超ビターチョコを齧った感じと、少しだけシナモンのニュアンス。鼻と喉の分かれ目で、ぴりりとスパイシーな粒子が広がる。宝塚の男優のようなユニセックスなイメージ。
敷地を出ていちばん近所の家の窓から、、
こちらを観察する視線を感じて振り向くと白い壁に黒い窓枠、それに同化して、白いシャツに黒いタキシードを着た猫が、執事のように待機していた先程グラスを交えた、ほろ酔い加減の売店のおじさんが、車で1分の坂道を、ランチのために運転して帰宅したのだ。 執事は俊敏に窓を離れ、姿勢を正して、主人を出迎えた。
2008年06月30日
類は友を呼ぶ
アイラ島、すべての蒸留所を巡り終えた達成感と寂寥感に包まれたわたしたちは、ロッホサイドホテルのバーで、とにもかくにも一杯やりたかった。
センチメンタルな気分で車を止め、アンニュイな足取りでホテルの角を曲がると、そこには「結」にふさわしい登場人物との再会が用意されていた。そう、3日前にマッカラン蒸留所で出会い、ラフな再会の約束をして別れた齋藤夫妻であった。曇天は瞬く間に晴れあがり、懐かしさと安堵が込み上げてくる。わたしたちは何を言わずとも、再会の握手を交わすだけで旧知の仲のように間合いが取れ、心が呼応するのであった。早速、4人でロッホサイドホテルのバーカウンターへとなだれこむ。
聞けば、齋藤夫妻もアイラ島のホテルを予約せずに到着し、ロッホサイドホテルに奇跡的に空いていたひと部屋に投宿したのだという。
(!!!)
わたしと良さんは、彼等に矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「ドアを開けて、半歩進むとすぐにベッドの?」
「セミダブルベッドひとつだけの?」
「トランク広げられそうにない感じ?」
「このすぐ上の部屋?」
齋藤夫妻は、この無遠慮な質問に目をぱちくりさせ、からだを引いてたじろぎながらも、育ちの良さがうかがえる上品な返答で、無難に乗り切った。
「佐々木夫妻も、こちらに御宿泊?」
「いえね、わたくしたしも当初、まぎれもなくそのお部屋を奨められたのだけど、諸般の事情があってこちらはやめにして、別なホテルに宿泊してるのよ」
「諸般の事情って・・・何か良くない理由でも・・・?」
「ううん。悪くない。ねっ」
「うん。うん。何も悪くない」
「あのお部屋は、狭すぎるきらいはあるけれど、ベリィグッドよ」
『悪いのは、このひとの、寝相!』
わたしの左手と良さんの右手が、お互いを指差して、斎藤夫妻の前で、見事にバッテン(×)に交差した。
ふたりは椅子の背にのけぞって、ガハガハと笑っている。
「そうだったんですねぇ」
やれやれ、あの狭さを楽しんでしまえる、ハニームーンのふたりの初々しさよ。
コン、コン。ガラス越しのノックの音に振り返ると、ピーター&ラルフが大きい身体で張り付いて、満面の「友情の笑顔」を浮かべているではないか・・・。
まったく・・・。類は友を呼ぶのである。そして、友達の友達は、皆、友達である。旅の終焉にふさわしい、オールキャスト揃い踏みだ。
ロッホサイドホテルのバーで、それぞれがオーダーしたウヰスキーが目の前に置かれた。誰からともなく、グラスが高く掲げられる。
「スランジバー!」「スランジバー!」「スランジバー!」
健康に。友情に。バッカスに。
翌朝、ひと足先にアイラ島を離れるわたしたちは、飛行機出発までの時間を、ボウモアのメインストリートを散歩して過ごした。ロッホサイドホテルの入り口脇には、見慣れたピーター&ラルフの自転車が止めてある。良さんはスーパーの茶色い紙袋に、昨夜、彼らに、見せるだけ見せてふところにしまった余市の瓶をくるんで、ピーターの自転車カゴにそっと転がしたのだった。
センチメンタルな気分で車を止め、アンニュイな足取りでホテルの角を曲がると、そこには「結」にふさわしい登場人物との再会が用意されていた。そう、3日前にマッカラン蒸留所で出会い、ラフな再会の約束をして別れた齋藤夫妻であった。曇天は瞬く間に晴れあがり、懐かしさと安堵が込み上げてくる。わたしたちは何を言わずとも、再会の握手を交わすだけで旧知の仲のように間合いが取れ、心が呼応するのであった。早速、4人でロッホサイドホテルのバーカウンターへとなだれこむ。
聞けば、齋藤夫妻もアイラ島のホテルを予約せずに到着し、ロッホサイドホテルに奇跡的に空いていたひと部屋に投宿したのだという。
(!!!)
わたしと良さんは、彼等に矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「ドアを開けて、半歩進むとすぐにベッドの?」
「セミダブルベッドひとつだけの?」
「トランク広げられそうにない感じ?」
「このすぐ上の部屋?」
齋藤夫妻は、この無遠慮な質問に目をぱちくりさせ、からだを引いてたじろぎながらも、育ちの良さがうかがえる上品な返答で、無難に乗り切った。
「佐々木夫妻も、こちらに御宿泊?」
「いえね、わたくしたしも当初、まぎれもなくそのお部屋を奨められたのだけど、諸般の事情があってこちらはやめにして、別なホテルに宿泊してるのよ」
「諸般の事情って・・・何か良くない理由でも・・・?」
「ううん。悪くない。ねっ」
「うん。うん。何も悪くない」
「あのお部屋は、狭すぎるきらいはあるけれど、ベリィグッドよ」
『悪いのは、このひとの、寝相!』
わたしの左手と良さんの右手が、お互いを指差して、斎藤夫妻の前で、見事にバッテン(×)に交差した。
ふたりは椅子の背にのけぞって、ガハガハと笑っている。
「そうだったんですねぇ」
やれやれ、あの狭さを楽しんでしまえる、ハニームーンのふたりの初々しさよ。
コン、コン。ガラス越しのノックの音に振り返ると、ピーター&ラルフが大きい身体で張り付いて、満面の「友情の笑顔」を浮かべているではないか・・・。
まったく・・・。類は友を呼ぶのである。そして、友達の友達は、皆、友達である。旅の終焉にふさわしい、オールキャスト揃い踏みだ。
ロッホサイドホテルのバーで、それぞれがオーダーしたウヰスキーが目の前に置かれた。誰からともなく、グラスが高く掲げられる。
「スランジバー!」「スランジバー!」「スランジバー!」
健康に。友情に。バッカスに。
翌朝、ひと足先にアイラ島を離れるわたしたちは、飛行機出発までの時間を、ボウモアのメインストリートを散歩して過ごした。ロッホサイドホテルの入り口脇には、見慣れたピーター&ラルフの自転車が止めてある。良さんはスーパーの茶色い紙袋に、昨夜、彼らに、見せるだけ見せてふところにしまった余市の瓶をくるんで、ピーターの自転車カゴにそっと転がしたのだった。
2008年06月30日
ヒースロー空港
ヒースロー空港の免税店は、パリの『ボン・マルシェ』にも、ロンドンの『ハロッズ』にも、『三越日本橋本店』にも負けちゃいない内容の『特選ブティックフロア』と『高級グロッサリーコーナー』と『バー』が充実している。わたしたちはゲートをくぐった途端、その消費・資本主義の、どうしようもなくうんざりするけれど愛すべき日常に取り込まれた。
そうよ、わたしたちが生活している日常はそんなふうに出来ていて、ディズニーランドのアトラクションのように「どうぞ、思う存分、お買い物を楽しむがいいわ、プリーズ」的に、こんなふうに至れり尽くせりで用意されているのに、乗らないでか。わたしと良さんは似たもの夫婦であり、なかなかにミーハーで、ノリがよくって、おっちょこちょいなのである。
きらびやかなショップを前に、わたしたちは目だけでお互いの感情を読み解きあった。
「じゃあ後ほど、バーで」「了解」
今回、良さんは、レンタルトランク・特大に、荷造り用のプチプチとクラフトテープだけを放り込んで旅立って来た。すでにカウンターに預けたトランクの中には11本のウヰスキーが、びっしりと詰め込まれている状態である。(カウンターも、重量ノーチェックで、よく受け取ったものです)
それなのに、バーで落ち合った良さんは、新たにウヰスキーを3本手にし、何も言うなという風にわたしを制して、立派に言い訳をした。
「これはね。手持ち分!」
しかも、オイスターをダースでオーダーし、アイラ島のボウモア蒸留所で受付のクリステーンから頂いたミニチュア瓶を開栓して、上機嫌である。
「ほら、アイラ島で実現出来なかった、オイスターにアイラモルトを垂らして食べるってのを、試そうと想ってさ」
潮の香りが立ち込めた。
「この香りに包まれたなら、わたしたちはいつでもアイラ島にワープ出来ちゃうんだね」
帰国して我が家に戻るはずなのに、なんだか田舎を後にして離れるような、甘くて酸っぱい寂しさが込み上げてきた。
わたしはそっと、殻の中の小さな海を口へ運んだ。オイスターのひだひだがのどをくすぐって滑り落ちていく。
「良さん、この祝福された旅行に・・・」ショット・グラスを掲げた。
「スランジバー!!!」「スランジバー!!!」
そうよ、わたしたちが生活している日常はそんなふうに出来ていて、ディズニーランドのアトラクションのように「どうぞ、思う存分、お買い物を楽しむがいいわ、プリーズ」的に、こんなふうに至れり尽くせりで用意されているのに、乗らないでか。わたしと良さんは似たもの夫婦であり、なかなかにミーハーで、ノリがよくって、おっちょこちょいなのである。
きらびやかなショップを前に、わたしたちは目だけでお互いの感情を読み解きあった。
「じゃあ後ほど、バーで」「了解」
今回、良さんは、レンタルトランク・特大に、荷造り用のプチプチとクラフトテープだけを放り込んで旅立って来た。すでにカウンターに預けたトランクの中には11本のウヰスキーが、びっしりと詰め込まれている状態である。(カウンターも、重量ノーチェックで、よく受け取ったものです)
それなのに、バーで落ち合った良さんは、新たにウヰスキーを3本手にし、何も言うなという風にわたしを制して、立派に言い訳をした。
「これはね。手持ち分!」
しかも、オイスターをダースでオーダーし、アイラ島のボウモア蒸留所で受付のクリステーンから頂いたミニチュア瓶を開栓して、上機嫌である。
「ほら、アイラ島で実現出来なかった、オイスターにアイラモルトを垂らして食べるってのを、試そうと想ってさ」
潮の香りが立ち込めた。
「この香りに包まれたなら、わたしたちはいつでもアイラ島にワープ出来ちゃうんだね」
帰国して我が家に戻るはずなのに、なんだか田舎を後にして離れるような、甘くて酸っぱい寂しさが込み上げてきた。
わたしはそっと、殻の中の小さな海を口へ運んだ。オイスターのひだひだがのどをくすぐって滑り落ちていく。
「良さん、この祝福された旅行に・・・」ショット・グラスを掲げた。
「スランジバー!!!」「スランジバー!!!」







