ウスケバ・ロゴ ウスケバ・ロゴ ウイスキー造りに欠かすことの出来ない「水」そして「樹」。自然の力が生み出す「生命の水」。

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バッカスに選ばれし者です
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2007年02月12日

バッカスに選ばれし者



 遠洋漁業を終えて陸に戻ると、船長だった父親は船員仲間を家に呼んで、盛大に宴会をやった。ちょっと粗野で言葉遣いの汚い連中ばかり。しかし、一旦命がけで海に出たら、互いに信じあえる、たくましくて頼りになる存在なのだ。
 海の男はよく食べるし、よく飲むし、もしかして客間で火事?と勘違いしちゃいそうなほど、煙草もヘビーに吸う。昭和50年代の頃だから羽振りもよく、すべてにおいて豪快だった。当時10歳だったわたしは、みんな機嫌が良くて、特別な御馳走ばかりが並ぶ、そんな儀式が大好きだった。
 とくにウヰスキーにはこと欠かなかった。外国の港で買い込んだ高級洋酒が、片っ端から空いていく。甘い香りがする透き通った茶色の飲み物、瓶に貼られている綺麗な絵、瓶の形だって素敵だ。その瓶に触りたくて「お酒をつくる」と言い張った。空のグラスに氷をいっぱい入れて瓶を傾けると、トクトクトクって音がした。それから、氷がカランコロンって鳴った。大酒のみの父親のDNAが、わたしのなかで目覚めた瞬間であった。

 父親が家にいるときは、母親は朝から水割りを出した。これは、明日は大海原で死んでしまうかも知れない海の男を伴侶に持つ妻の、悲しい性(さが)なのか?長年の習性なのか?彼女は、わたしが二十歳をすぎたある日に、朝方まで日本酒を飲んで、初めて二日酔いに片足を突っ込んだ状態で帰宅したというのに、叱って嗜めるどころか、酔い覚ましにと水割りを目の前に置くようなひとである。

 そんなバックグランドを持つわたしは、DNAの赴くままに、女ひとりであろうと若いうちから気が引けそうなBarに、エイヤッ、と入っていた。小説の主人公を気取って浸っていれば、なんとか格好がつく。歳を重ねた今ではすっかり堂にいったものである。
 
 娘は父親に似た男に惚れる、とはよく言ったもので、わたしが29歳10ケ月で結婚したベターハーフも大酒飲みである。共通の趣味が「お酒を飲むこと」だけれど、単なるのん兵衛に成り下がっては、人生、酒で失敗するのは目に見えているではないか。1997年、わたしはワインエキスパートの資格を取得し、2001年、ダーリンは本格的にバーテンダーの勉強を始め、酒とそれをめぐる様々なものに目を向け、総合的に取り組んでいるところなのである。
(記*2001・秋)  

Posted by 夢大多亭 at 10:02Comments(6)TrackBack(0)

2007年02月21日

竹鶴Bar

 2000年秋口のとある日、いつものように日経新聞の夕刊をめくっていると、「ニッカウヰスキー新商品『竹鶴』発売にあたり、青山本社にプレ試飲Barを特設」という小さな記事に目がとまった。
(バッカスよ。 何故に貴方はそんなにまでわたくしを、酒の細道にお導きになるのですか?)すぐさま、耳元で「ジャジャジャジャーーーン」とベートーベンの『運命』が鳴り響く。
(あぁ、そうですね。それなら仕方がありません)わたしは運命に逆らわず、新聞をたたんで会社を後にした。
 
 『竹鶴Bar』は、会社帰りの殿方で賑わっていた。オールスタンディングで、L字形のカウンターの他に丸い肘のせテーブルが5つ。どのテーブルも埋まっていたが、女ひとり、ふらっと足を踏み入れると、社員が目敏く近づいてきて、カウンターの中央に、わたしのためのスペースをつくってくれた。落ち着いてあたりを見回たせば、男性約50人程に、案の定、女性は3人ばかり。実はわたしは、女、子供が苦手である。(だからと言って、特別に男好きなわけではありません。若い男の子も苦手です。ええ、確かに)大人の男性の、慎ましやかな談笑の中に居るほうが心安らぐのである。
 となりに居合わせたO氏は『BARレモン・ハート』(*注:下記参照)のまっちゃんみたいな人で「じゃ、貴女はトレンチコートを着ているから、めがねさんということで」なんて意気投合して、勢いづいて、ダブル・フィンガーをターキー(3杯)で注文してみたりなんかした。(まったく)
 
 こうして、想い掛けなくハード・ボイルドに過ごしてしまったわたしは、木枯らしに負けそうになりつつも、コートの襟を立て、ネオンの街を(やっと)帰路についたのであった。

*************************
      
(注:『BAR レモン・ハート』)
連載20年を超えた、酒好きの、酒好きによる、酒好きのためのマンガです。
そのバーは港町のはずれにぽつんとあって、お酒を愛して止まない記憶力抜群のマスターがひとりでやっている店です。
マスターは、なかなか手に入らないお酒を求めて、時々ふらっと旅に出たりもします。
まっちゃんは、そこの常連で、お酒は好きだけれど、いまいち味が解かっていない、サラリーマンライターです。丸顔で人懐っこい性格で、なかなか面倒見がよく、落ち込んだり悩んだりしている友人や後輩は、すぐにレモンハートに連れて行き、慰めたり励ましたりします。
もうひとりの常連が、何時いかなる時もトレンチコートを着て、帽子を被り、サングラスを掛け、ハード・ボイルドに極まっているめがねさん。めがねさんには謎が多く、正体不明ですが、マスターに引けを取らないほどお酒に詳しく、たいていカウンターの端っこで新聞を広げています。  

Posted by 夢大多亭 at 20:31Comments(3)TrackBack(0)

2007年02月24日

ニッカ『マイウヰスキーづくり』

 
 マイウヰスキーづくりは、「一般の愛飲家にも、北海道余市蒸留所に於いて、2日間にわたってのモルトウヰスキー製造工程の体験を通し、その真髄にふれて貰いたい。」という趣旨で、「ニッカ」が13年前から続けている活動である。
 参加者が手をかけ、木樽の蓋に名前を寄せ書きしたマイウヰスキーは、余市の自然の中で熟成させた10年後に、瓶詰めして贈呈されるのだという。
 O氏からこの話を聞いた翌日、わたしはさっそく「ニッカ」に問い合わせをした。ウヰスキーづくり体験は、雪解けを待って春から秋まで数回行われるが、希望者が多いために抽選になるのが常だという。しかし、我々にはバッカスがついているのである。もちろんのことながら、すんなりと当選であった。
.............................................................................................

2001.4.20(土)
13:45  余市工場集合、受付、着替
14:00~ 工場長挨拶(山地氏)製造工程の講義(製造課長・小原氏) 
     
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[大まかな歴史]

13世紀 
「生命の水」 VISAGE BEATHA(ウイスゲベーハー・ゲール語)誕生
Uisge beatha ~ Usquebaugh ~ Usky ~ Whisky

17世紀
イギリス政府がウヰスキーに重税を課したため、スコッツ(スコットランド人の自称)は
ハイランド地方の山奥に隠れ、密造に走る。
山の清冽な水、小さな銅釜での蒸留。隠して放置された後の、偶然の熟成。
そうして、極上の芳しいウヰスキーが出来上がる。
(こうした密造酒は Mauntain dew 「山の露」と呼ばれた)

19世紀
今から約130年前には、連続式蒸留器が発明され、とうもろこしが主体のグレーン
ウヰスキーが登場し、モルトウヰスキーとのブレンドが始まる。

[世界5大ウヰスキー]

スコッチウヰスキー   (英国)     モルト、グレーン
アイリッシュウヰスキー (アイルランド)
アメリカンウヰスキー  (アメリカ)   バーボン、テネシー、ライコーンほか 
カナディアンウヰスキー (カナダ)
ジャパニーズウヰスキー (日本)      モルト、グレーン

[スッコッチの4大モルト]

ハイランドモルト      スコットランド北部(男性的、余市工場のタイプ)
ローランドモルト      スコットランド南部(女性的、仙台工場のタイプ)
アイレイモルト        アイラ島
キャンベルタウンモルト

[ウヰスキーの格]

「ブレンデットウヰスキー」   
モルトウヰスキーとグレーンウヰスキーのブレンド

「ピュアモルトウヰスキー」
複数の蒸留所のモルトウヰスキーの混合 (スーパーニッカ等)

「シングルモルトウヰスキー」
単一の蒸留所のモルトウヰスキーだけを使用 (余市、仙台等)

「シングルカスクウヰスキー」
単一の樽のモルトウヰスキーだけを使用 (樽番号が入る)

[製造工程] Proces

1.原料 Material      
  厳選された大粒で良質な二条大麦を用いる。
  二条麦は、六条大麦の穂の四列が退化し、実が穂軸にそって二列に並ぶ
  大麦のこと。澱粉が多く、醸造に適している。

2.浸麦 Malting
  浸麦槽において、水に浸して発芽に必要な水分を たっぷり含ませる。
 
3.発芽 Germination
  発芽によって、麦の中に糖化酵素=アミラーゼが生成される。 
  生成のピークの頃合は、麦を指先に取り、壁にすりつけてみて確認する。
  
4.乾燥・製麦
  キルン塔でピートを燃やし、乾燥させる。
ピートは 草炭あるいは、泥炭のこと。川原から掘り起こしてくる。
  1ヶのサイズは20cmx30cmx10cm位。
  乾燥するのに1ヶ月かかるが、10分で燃え尽きる。
  その燻煙が、ウヰスキー独特の香り(スモ-キー・フレーバー)となる。

5.粉砕
  粉塵爆発の危険性もはらんだ、地味でデリケートな作業。
  麦芽ホッパーから、糖化槽(マッシュ・タン)へ。

6.糖化 Mashing
  粉砕した麦芽に温水を加え、
  (1回目、65度の温水を注入する為に、75度の温水を用意。
  2回目、78度の温水を注入する為に、81度の温水を用意。)
  麦芽に含まれる酵素を働らきで、澱粉が糖液に変わる。
  攪拌しながら、麦汁を搾り取る。(水は地下水を汲み上げている。)
  糟は、牛の飼料に廻される。

7.醗酵 Formentation
  糖液に酵母を加え、糖をアルコールに変える。
  (酵母は上限31度で死んでしまうので、温度コントロールしている)
  酵母には特別な名前は付いていない。
  ニッカではN-xxx,と識別してるとのこと。
  (ワインだとモンラッシェ酵母なんて、魅惑的なのがある) 
  醗酵タンクは1本4万L。  
  (蒸留後には、1/10=4000Lの原酒になる)  
  3日程かけて度数7%の、もろみをつくる。
  
8.蒸留 Distillation
  ポットスチルでアルコールを取り出す。
石炭による「直火焚き」。古い樽も、補助燃料として使われる。
  蒸留は2回。度数は1回目で22%、2回目で70%となる。
  ここで出る酒粕は畑の肥料に廻される。
  (ポットスチルは、オール銅製。メンテナンスは道内の業者でまかなえる)
蒸留しはじめと 最終の液は使用せず、香りの良い部分だけを、原酒と
  して樽詰めする。この時点では、まだ 無色透明。(麦焼酎という感じ) 
  
9.熟成 Maturation
  樽詰めして貯蔵。貯蔵に適した度数は65%。 
  樽は北アメリカ産のホワイトオークを使用し、工場内で手造りされている。  
  長期の熟成により、豊かな香味と琥珀色がつく。

10.ブレンド Blending
  モルトウヰスキーと、カフェグレーンを混合し口当たりの良いウヰスキーに
  仕上げる。

11.再貯蔵 Marriage
ふたつの味をなじませる。

12.瓶詰め Bottling

15:30~ モルトウヰスキー製造工程作業体験

[発芽室]
 発芽室に入ることは出来なかった。スコットランドの老舗の蒸留所には、どこにでも、大麦の倉庫と発芽室にやってくる厄介者を退治する、番人役の飼い猫(ザ・ウヰスキーキャット)がいるそうなので、ひょっとしたらここにも、そんな輩がいるのでは?と、尋ねてみたが、特別な飼い猫はいないそうだ。(ちょっと、残念。)

[キルン塔]
 炉ではピートが燃やされ、キルン塔(つまり、建物ごと燻製庫なわけで、天井が「ふるい」のような、細かい目の網で出来ていると想像してほしい。)その網の上に、20cmの厚みで広げられた麦を、煙で燻して乾燥させるのだ。細い梯子を登り、4~5人づつで網の麦の上に立つ。いまのところまだ、網を破って下に落っこちた人はいないが、落下の可能性は否めないとのこと。ピート香に包まれ、ハンモックでも吊るして、お昼寝したいところだ。(しかし、ミイラ化する可能性も否めないよな。)

[粉砕室]
 当たり前のことながら、そこいらじゅう粉っぽい。きめ細かいパウダーがなんだかお肌に良いような気がして、頬にのせてはたいてみた。うーむ。さすがに、シャネルのパウダーとは似て非なるものだ。

[マッシュ・タン]
 マッシュ・タンは、ちょうど、モンゴル遊牧民の白いテントの住居形をしている。まあるくて、屋根がこんもり盛り上がった感じ。ピカピカのステンレス製で、それはまた巨大な宇宙船のようでもあるので、「つなぎ」に「長靴」姿の我々は、『さらば地球よ。旅立つ船は、宇宙船艦ヤマト』的センチメンタルな気分で、麦汁が抜けきったあとのマッシュ・タンの中に入り、『運命を背負って』『イスカンダル』な糟(かす)の排出作業を行った。

[醗酵室]
 顕微鏡で、直径約5ミクロンの酵母が増殖している様子を覗き、(ツユクサの気孔のような面白みは無い。)醗酵を終えた麦汁(もろみ)をティスティングした。こっくりとした甘味のある、まさにビール的なものである。

[ポットスチル]
 石炭をくべる。これは是非とも、人生の中で一度は経験してみたいことのひとつだった。潜熱によってやけどしてしまう恐れがあるので、夏でも長袖を着用するそうである。花形の仕事だけれども、大変な重労働であることも事実だ。

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18:00  着替えて、工場内レストラン「たる」にて夕食、参加者の自己紹介
21:00 二次会の後、工場から徒歩10分の「ホテル サンアート」に宿泊   

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2007年02月24日

リタに捧げる『オールド・ラング・サイン』

 ホテルの窓からは、昨日(さくじつ)とはうって変わって、どんよりした雲と、くすんだ灰色の海が見える。波は穏やかだが「ブルース・口笛・女の涙」が似合う、北西の果ての日本海だ。
 わたしは、熱いシャワーを素早く浴びて、シェトランドセーターとチノパンに着替えた。絹のショールをぐるぐると首に巻きつけ、トレンチコートの襟を立ててホテルの部屋を出た。良さんはまだ、ベッドの中だ。
 
 海まではごくわずかな距離である。民家の庭先を抜け、コンクリートの堤防に出た。トタン小屋の前には、荒縄のネットでくるまれた石やガラス玉や、青いペンキが風化した船具が放置されている。潮に晒されたブルーほど、やさしく美しい「青」はない。三陸の小さな港町で、漁師の娘として生まれ育った私にとって、それはまさに原風景の再現であり、「わたし」というものを形成している、すべてのコアで有り得る。鼻の奥がツンとなって、安堵して身を委ねられる温かさとともに、あれからずいぶん遠い処へ来てしまって、たぶんもう「あの場所」に属すことは在り得ないのだという決定的な想いが、代わる代わる小さな波となって、わたしの胸に打ち寄せてくる。
 ふっと空を仰ぎ、堤防に寄りかかって、スキットルから熱い液体を胃に流し込んだ。先ほどまで余市川の上にあった、薄い灰色の羽毛のような雲が、ゆっくりとこちらへ移動し、いまは、わたしの数m先まで近づいてきて雪を降らせている。心地よいシャワーのように、サァーと軽い音をたて、斜めに降り注いでいる。時折、日本海からの潮風が雪を舞い散らし、飛沫がとどいて顔を濡らしていく。もう少しで、わたしは身体ごと完全に、吹雪の中に呑み込まれるのだ。あらためてコートの前を掻き合わせ、ウヰスキーを煽った。
 
 砂浜の外れには、放たれた赤い首輪の黒い大きな犬が、波打ち際を彷徨い歩いている。岩陰からは、白い子犬がかけ寄ってきた。わたしは子犬の顔をすっぽりと手で包み込んで愛撫してやる。黒い大きな犬には、悪いけどちょっと近づいて欲しくないな、と想いながら。
 波打ち際にそって、犬と飼い主の足跡が残されていた。引き潮となったいま、わたしはさらに踏み込んで、波に洗われたばかりの砂浜を歩くことができる。そういえば、人間はなんだか、好んで境界線のキワを歩きたがるものだ。波打ち際もしかり、岬の先端、船のへさき、崖っぷち、切立った山、タワーのてっぺん。そこに見つけられるものは、いつだって壮大すぎて、手が届かないものばかりなのに。

 竹鶴の妻リタが、この砂浜に来たことはあっただろうか・・・?波が大きく砕けた。(きっと・・・)わたしの中を、熱い確信が突き抜ける。彼女は幾度も、人影のないこの砂浜にたたずみ、遠い故郷に想いを馳せたに違いないのだ。手に触れる海水はその瞬間、時差も、距離も、隔てているものすべてを呑み込んだはずである。この海は紛れも無く、故郷の海まで続いているのだから。

 余市川が海に合流するあたりで、コンクリートの足場は海に向けて伸びている。先端まで行って、余市湾全体を見渡してみた。ここからは、余市湾のひとつ先の忍路湾とポンマイ崎も、パノラマで視界に入る。すでに雪雲は彼方へ移動し、余市湾は紺緑色を取り戻しつつある。わたしは口笛で『オールド・ラング・サイン』を吹いた。どうか、リタの魂に届くようにと。

Should auld acquaintance be forgot, And never brought to min'........
昔馴染みが忘れられていいものか、決して想いだされぬままに。
昔馴染みが忘れられていいものか、遠い昔の日々が。
遠い昔のため、君よ、遠い昔のため、
我ら旧情の杯を上げよう、遠い昔のために。

我らともに丘の斜面を駈けたもの、腕いっぱいに雛菊を摘んで。
だが、我らいつか旅路にさまよい疲れた、遠い昔のあの時以来。

我らともに小川に魚獲ったもの、陽が昇ってから昼の御飯となるまで。
だが、我らのあいだに大きな海が吼えたてた、遠い昔のあの時以来。
       
さあ、手を握ろう、我が信ずる友よ、さあ、手を。
そして我ら旧情の杯を上げよう、遠い昔のために。

..........................................................................................................................................

『オールド・ラング・サイン』(今は懐しその昔) スコットランド民謡 
Robert Burnssas(ロバート・バーンズ)作詩 邦題は『蛍の光』
                                         
『Robert Burnssas』 スコットランドの国民詩人。 
恋愛とウヰスキーと詩を愛した熱血漢。
スコットランド方言で書かれた詩は、今でもスコットランドの人々に熱烈に愛されている。  

Posted by 夢大多亭 at 11:18Comments(1)TrackBack(0)

2007年03月03日

樽づくり体験

2001.4.22(日)
9:00 工場集合
9:15 樽づくり体験(樽職人・長谷川氏)
    長谷川氏は昭和31年から、樽づくり一筋。
   「好きだから続けて来られたんです。」と、樽をいとおしい様子で撫でた。

[原木]  樽材はオーク(ナラの木)。樹齢、80~120年程の木が適している。
それ以上は老木となるので使えない。

[玉切り] 樽の高さ(長さ)を考えて輪切りにする。

[大割り] それを縦に4分割する。

[小割り] 各々を年輪の中心を通るように分割する。

[中仕上げ] 柾目板をとり板としての仕上げをする。(柾目でないと漏れない樽にはならない)

[整形乾燥] 井桁に組んで、約3年間自然乾燥させる。(木は端から乾燥する)

[鏡板加工](丸い蓋を構成する板)
カンナで丸く削りとり、板と板を木の釘で(両側とも尖った釘)継ぐ。
円形を整え、はめ込みのための溝を削る。

[側板加工](樽の胴を構成する板)
まず、長さを切りそろえる。曲線を描いて両端がすぼまる形に、側面を削る。
板の幅はまちまちなので、これを30~40枚選び、
板と板の接する面が隙間なく合うように仮輪で絞り、蒸し煮する。
(貯蔵した時下側になる方には、良い素材の部分を持ってくる)
鏡板をはめ込む溝を削る。

[組み立て] 鏡板や側板の隙間をふさぐパッキンには、蒲の茎が使われる。
(蒲の茎は、天井から吊るして干してある)
鏡板をはめこむ。

[タガ締め] 帯鉄(おびてつ・タガ)で輪締めする。樽は板と帯鉄だけで、金釘や接着剤は使用しない。  

[チャー]
樽の内側を焼き、
(樽の内部を焼いた時、バージンだと、赤い炎、2回目からはオーロラのような青い炎となるそうである)
安定させるため2~3週間おく。
  
[仕上げ] 最後にダボ穴と呼ばれる口穴を開ける。水を入れて漏れのテスト。ひと樽は容量230L(300K)

不良な部分を手直しして、完成。

樽は何回も貯蔵に用いるが、使命を終えた樽は、蒸留の際に補助燃料として使われる他、コーティングしてプランターに加工したり、最近では家具として再生できるようになった。

最後に、長谷川氏に、失礼を承知の上であえて尋ねてみた。
「もしも、もしも私が樽職人だったら、死んだ時には、棺おけではなく、自分で造った樽の中で眠りたい。と願うところですが、長谷川さんはいかがでしょうか?」と。
「製造課長。どうでしょうね?」長谷川氏は顔をニヤつかせ、許可を得るふりをして小原氏にこの質問を振り、うまく逃れたのであった。

10:00 樽詰作業
    ひとりひとりが、それぞれの想いを込めて、鏡板にサイン。
    蒸留液を樽詰し、栓をした。
10:15 貯蔵庫へ搬入
    我が子を見送る気持ちで、樽を貯蔵庫へ。現在、貯蔵庫は28棟。
    わたしたちの樽は2号貯蔵庫で、10年後の再会に向け永い眠りに就いた。
    樽番号404362である。
12:00 着替えて昼食
13:00 解散  

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2007年03月03日

IN LOVING MEMORY 

  2日間のウヰスキーづくり体験終了後、山地工場長のご好意により、竹鶴政孝とリタ夫妻の墓参りをさせて頂けることとなった。希望者8名で車を連ね、美園の丘へ向う。
 山地氏は関西出身、家族を千葉県に残しての単身赴任である。
 「リタさんはイギリスから、竹鶴についてきたとゆうのにですね。私の妻は、千葉から、ようついてきてくれません」笑い飛ばした毒舌の中に、ちょっぴりの哀愁が漂う。
 なれた足取りで、急な斜面をスッ、スッと上って行く氏の手には、昨年の秋に新発売されたウヰスキー、あの『竹鶴』の瓶が握られていた。

 墓地の一角、余市町に向かって、バルコニーのように突き出した場所に、彼等が眠る墓碑が立っていた。 『竹鶴』を満たしたグラスを、氏が墓前に供すと、白い御影石に琥珀色の影が揺れた。氏は何を想い、何を報告し、何を語ったのか。その背中には、ウヰスキー造りを受け継いだ者の静かな決意が読み取れた。彼もまた「ウヰスキー」に見い出された男である。氏の後ろで手を合わせたわたしたちは、感涙し、咽び(むせび)泣くしかなかった。

 ウヰスキーを主題にした書物を読んで得た、さまざまなエピソードがわたしの内部でリンクし、絡み合い、融合した。ひとつのストーリーの結実を、いまここで目の当たり(まのあたり)にした気持ちになった。2人の代わりに、すくっと立つ墓碑は、愛の記憶を秘めて、なおも夢の行方を見守り続けているのだ。

 『IN LOVING MEMORY OF RITA TAKETSURU
                  MASATAKA TAKETSURU』  

Posted by 夢大多亭 at 14:10Comments(4)TrackBack(0)

2007年03月10日

これもバッカスのお導きなのか?

  夏休みは海外で過ごすことが多い。今年は何処で過ごそうか、漠然と考え始めるのは、5月の連休が明けてからである。それから約3ケ月かけて、スケジュールを詰めてゆくのだ。旅行会社には飛行機のチケットだけ依頼し、宿やレンタカーなどは、インターネットでダイレクトに予約する。そのやり取りから、すでに旅は始まっている。
 ロンドン?パリ?ニューヨーク?・・・何処も違うなぁ。もっと、いまの気分にぴったりの処があるはず・・・。本棚にびっしりと詰め込んであるビジュアル本をひっくり返していると、「フジコサン。これしかない!」良さんはウインクして、表紙をわたしの目の前に突き出し、右手でぴったしかんかんのポーズをとった。・・・そうだった。直感とは、蓄積されたものが、必要な時に出てくるものだと、おばあちゃんが言っていた。心の奥に、澱のように蓄積してきた想いは、これであった。

 森瑶子さんの『望郷』を読んで「ニッカ」に興味を持ち、「竹鶴Bar」に出向き、「マイウヰスキーづくり体験」にも参加した。そして、村上春樹さんの『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』を読んでは、こんな処に行って、こんなふうにすごしたいねぇ、なんて憧れを語り合っていたのだ。ほかの選択肢はあり得ない。
 わたしたちは、スコットランドに行くべきなのだ。

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1920.1.20 グレートハミルトン街にあるカールトン地区登記所で、ひっそりと署名による結婚。
日本人で初めて、モルト・ウヰスキーの製法を学ぶため、スコットランドに留学していた
竹鶴政孝と運命的に出会ったリタの生涯を描く。
肉親との愛を断ち切り、極東の日本で、男の夢を共に生きたリタの
心に棲む「望郷」とはなんだったのか?人間の孤独とはどういうことか?
著者初めての、長編伝記小説。

『望郷』  森瑶子・著 角川文庫

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アイラ島にはぜんぶで七つの蒸留所がある。僕はこの七つのシングル・モルト・ウィスキーを、
地元の小さなパブのカウンターで同時に飲み比べてみた。
グラスをずらりと一列に並べて、左から順番にひとつひとつテイスティングしてみたわけだ。
気持ちよく晴れた六月のある日の、午後の一時に。
これは、いうまでもないことかもしれないけれど、幸福な体験だった。
一生の間に何度もできることではない。

『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』  村上春樹・著 新潮社  

Posted by 夢大多亭 at 07:50Comments(5)TrackBack(0)

2007年03月17日

真夏の夜の夢?『THE GLENLIVET 12years』

 明日から9連休に突入する。仕事をきっちり片付けて、まるでテニスのあとにレモンスカッシュを飲み干した気分で帰路についた。上大岡駅の『マツモトキヨシ』側の改札を抜けると、良さんが私の帰りを待っていた。この金曜日のお迎えは、「今晩は焼鳥『鳥福』に行こうね」という、夫婦間の暗黙のサインとなっている。よくありますね。たとえば、お弁当のごはんに、ピンクのそぼろでんぶでハートマークをあしらった日は、「あなた、今晩、ねっ!」みたいな、そういうことです。

 『鳥福』でいつもの席に落ち着くと、良さんは、先程から大事そうに抱えていた紙の包みを、おもむろに開け始めた。
「じゃじゃ~ん。『THE GLENLIVET 12years』(ザ・グレンリベット12年もの)だよぉ。あのね、グレンリベットと名の付くスコッチは数あれど、THE(ザ)をつけることを許されたグレンリベットは、JG・スミス家のものだけなんだって。明日の今頃は僕たち、この蒸留所にいるんだよ」(うーむ。気持ちは解るけれど、まさかここで開封するわけではあるまいな・・・)
「佐々木さん。何だぁ、それ?」早くも気難しい親父さんから、お声が掛かる。良さんは額に汗をかきつつ、おなじ説明を繰り返した。『村田眼鏡店』であつらえた八十万円もする親父さんの眼鏡のべっ甲フレームに、光の筋が走った。
「なにオゥ。」親父さんが顔をゆがませながら近づいてくる。総麻の真っ白い甚平姿で、威厳たっぷりである。
(あぁ。きっと、退場宣告だ)良さんは開いた口に指を4本つっこんで、1メートルほどのけぞった。
「佐々木さん。御所望・・・」(!)親父さんは、『熊出没注意』とプリントされた、黄色いマグカップを手にとって、テーブルにすり寄ってくるではないか。
「御所望・・・」居候のごはん茶碗みたいに、そのカップが差し出された。良さんが震える手つきで、御所望に答えたのは言うまでもない。わたしたちの他に二組の客がいたが、親父さんは『THE GLENLIVET 12years』脇に陣取り、すっかり腰を据えてしまった。

 彼はその昔、エジンバラ郊外の貴族の領地内で行われる狩猟に誘われ、スコットランドには4回ほど行ったことがあると言う。雉を追いたてる方法で、半日で小型トラック一杯の成果があるそうだ。せっかくの雉が「なんだか、わけのわからない」料理で供出されるので、焼き鳥屋の主人としてはたまりかね、芝生のガーデンに火を起こし、雉をつぎつぎと半身にさばいて、豪快な『雉焼き』を披露したならば、大いに賞賛され、Mr.Kの名は伝説になっているそうである。
 スコットランドへの出発前夜。焼鳥『鳥福』での夜は更けてゆき、『THE GLENLIVET 12years』は、ボトル1/3を残すのみとなった。
(ちなみにこの日のわたしたちは、四万十川の天然うなぎを蒲焼で食べ、ビールと樽酒を飲んでいただけである)
 当初の予定通り、良さんは今晩の寝酒に『THE GLENLIVET 12years』を舐め、スコットランドに想いを馳せた夢を見ることが出来るのであろうか?あるいは、真夏の夜の夢と成り果てるのか?その運命は、親父さんの手中に握られているのであった。
(2001年・夏)  

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2007年03月22日

To be or not to be... 

 家を留守にする時は、こころゆくまで、洗濯と掃除を済ませないと出掛けられない。という悲しい習性のわたしは、出発当日のこの日も、朝早くからいそいそと洗濯に取り掛かった。3クールめにタオルケット2枚を洗い終えると、すっかり満ち足りたので、洗濯洗剤CMの女優みたいに、大きく深呼吸をしながら胸の前で指を組み合わせ、つま先立ちしたスリッパで、くるっ、くるっと、回転してみた。ここに子役の少女がいたとしたら、やっぱりわたしも頬ずりして、幸せを噛みしめるところである。
 そして、掃除。目につく、あらゆるところを雑巾がけしてゆく。ふだんは床を中心に、ひととおり拭き終えれば完了となるのだが、このような日に限って、ガス台のサビなんかに目が留まってしまうものである。(やっぱり、きれいにしなくっちゃ)亀の子たわしで、『バーナー』、『コンロ』、『ゴトク』と磨きすすむうちに、今度はレンジフードまわりの油汚れが、気になってきた。
 うーむ。成すべきか、成さざるべきか。To be or not to be... ハムレットの気持ちになり、腰に手をあて、換気口を睨みつつ神に答えを問うてると、背後から返答の声があった。
「フジコさん。いい加減になさい。もう出掛けるよぉ」
 そろっと後ろを振り向いて、すばやく良さんの瞳の奥をじっと覗き込み、警告のレベルをチェックしてみた。瞳の翳り具合と、先程の声のトーンと、低いわりには、ツンとしている鼻から察するに、これはもう潮時である。むやみに夫婦喧嘩の火種に、薪をくべてはいけない。
「はい、いますぐに。良さま。いざ、スコットランドへ」  

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2007年03月25日

大江南北宴

 
 
 やはりこれはラッキーだというべきかも知れない。キャセイパシフィック航空を利用したわたしたちは、香港でのトランジットを経てロンドン、ヒースロー空港に向かう便で、ダブルブッキングだからと、ビジネスクラスにチケッティングされたのである。(バッカス様、感謝いたします。)長い行列を尻目に、特別な配慮で案内されて機内への通路を歩く。
 バイオレットのブラウスに、深いスリットが入った、くるぶしまである黒いロングスカートといういでたちの、アテンダントに迎え入れられる。(エコノミークラスのアテンダントのスカート丈は、膝まででしかない。)エキゾチックな小麦色の肌を持った美女である。びっしりと長い睫毛の影が、彫りの深い顔立ちにかかると、まるで深い森の秘密みたいに、分け入る者を選ぶニュアンスが生まれる。あぁ、わたしも、こんな美女として生を受けたかった。・・・望んでもどうにもならないことは、百も承知だ。カルティエのショウケースから離れるときみたいに、左右に首を振りながら、瞼をゆっくり閉じて長く尾をひくため息をついた。(もしかしたら。女性の貴女なら、この気持ちわかってもらえて?)

 『大江南北宴』とタイトルがついた、5ページにわたるメニュウを渡されて、ほどなくSupperである。

「Mr&Mrs SASAKI, Aperitifs(アペリティフ)は何になさいますか?」
「Cognac Hine Rare and Delicate Fine Champagne Please.」(コニャックをお願い)
「Yes, まだむ」
「僕には Billecat-Salmon Brut Champagne please.」(シャンパーニュをお願いします)
「Yes,サー」
きちんとグラスでサーブされる。

「Mr&Mrs SASAKI, ブレットは、ガーリックとオニオンとバターロールがありますが、いかがいたしましょう?」
「パンは、いらないわ」
「Yes,まだむ」
「僕にはガーリックを」
「Yes,サー」
見た目で敬遠したのだけれど、とりあえずは温かいようだ。

「Mr&Mrs SASAKI, まずはツナフィッシュとドライトマトとハーブのサラダです。バルサミックビネガー・ドレッシングで味わってください」
「では、カンパリオレンジをいただこうかしら?」
「Yes,まだむ」
「僕にはブラッティマリーを」
「Yes,サー」
たいていのものは、なんでも出てくる。

「Mr&Mrs SASAKI, メインはお魚になさいます?それともお肉?お魚は白身魚のフリットサフランソース、お肉はチキンのてりやきとハムとスモークドサーモンの冷製盛り合わせ、またはビーフステーキ広東スタイルですわ。いずれも、ゆでたじゃがいもと卵チャーハンと、白菜の炒め物が付きます」
「わたしはお魚と Lois Max Pouilly Vinzelles 1996 にするわ。良さんは?広東ビーフになさるの?じゃぁ、彼のワインは ch.Fourcas Hosten, Medoc Liatrac 1998 にしてね」
「Yes,まだむ」
むむむむ。なかなかの、ヌーベル・シノワである。

「Mr&Mrs SASAKI, チーズとフルーツははいかがでしょう?」
「ブルーチーズと Dow's Late Bottled Vintage Port 1994/1995 をいただくわ。葡萄も少しくださる?」
「Yes,まだむ」
「僕にもおなじものを」
「Yes,サー」
チーズの状態がとっても良くて、ブラボーなマリアージュ。このためだけにでもビジネスクラスになったことに感謝である。

「Mr&Mrs SASAKI, デザートは、MOVENPLCKのアイスクリームです」
「続けて、チーズを楽しむわ」
「Yes,まだむ」
「僕も、アイスクリームはいらない。Johnnie Walker Black Label をもらおうかな」
「Yes,サー。ごゆっくりどうぞ」

旅はまだまだ、始まったばかりである。  

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2007年03月31日

お薦め3点セット


 
 さて、三十代も半ばを過ぎた我が人生。それなりに様々な事柄を乗り越えてきたわけだけれど、今回の旅に於いても、あるひとつの懸念が予想されていた。その為に私が用意したものは次の3点である。

①綿の手袋
ファッション性を考慮し園芸用品店でピンクの小花模様の品を求めた。

②ライフセラオレンジマスク
天然オレンジ抽出成分(保湿成分)配合のジェルシートマスクである。マスクは鼻を中心として上下2つのパーツに分かれており、まず、下のパーツの丸く開いた大きな穴を、口の位置に合わせて貼り付け、次に、上のパーツの丸く開いたふたつの穴を、目の位置に合わせて貼り付けるものである。これもファッション性を考慮し、白いマスクではなく肌色のものを選択した。

③立体型バイオマスク
『強力な6層で立体型の横漏れ防止パット』が、上下左右の空気の横漏れを防ぎ、口元がラクで話しやすくなっている。その上、『ノーズブリッジ』が鼻の部分にぴったりフィットし眼鏡が曇らない。

 どうでしょう?これぞ三十女の機知というものである。ゴビ砂漠に匹敵する機内の乾燥から、女の柔肌を守るには、必要にして完璧な対策ではないだろうか?
 すでにビジネスシートの多数の人々は眠りに就いている。窓は閉じられ、アテンダントたちもカーテンの向こうでの待機となっている。わたしはなるべく音を立てないように、細心の注意を払いながら、「乾燥対策必須3点セット」を装着して、手元の読書灯をつけ、リー・W・ラトリッジ著、『Diary of a cat』に没頭した。  

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2007年03月31日

しっかりしなくっちゃ。

 ひとつ後ろの席のご婦人が、レストルームに立ったついでに、コントローラーパネルを操作して冷房の温度を下げた。
「ちょっと暑いわね」ご婦人のワンピースは、セロリアンブルー地にグレーの花模様のリバティプリントである。きっちりベルトマークされたデザインではあるけれど、半袖だし襟元も開いているので、いかにも涼しげなのだが。
 彼女は席に戻る前に、改めて連れのご婦人に同意を求めた。
「まだ、暑いわね。貴女、暑くないこと?ねぇ、もう少しだけ下げてみましょうか?」
返事を待たずに、パネルは操作された。彼女の長い真珠のネックレスが、じゃらじゃらと鳴った。
 席に座っても、なんとなく、まだ落ちつかない様子で、ブランケットを丸めたり、クッションの位置を直したりしていたが、
「ぜんぜんだめよ。さっぱりクーラーが利かないんだわ」と言い放つと、意を決してまた席を立ち、パネルを激しく操作した。そしてやっと、これでいいわとゆうふうに肯くと、ゆるやかにウエーブがついた、銀髪のカールのひとつを右耳にかけた。彼女の、むっちりした右の二の腕が、ぶるんと揺れた。

 えー、いま密やかに、ビジネスクラスが、『クーラージャック』されました。あぁ、ビジネスクラスにご搭乗の皆様、目を覚まして下さい。当機はただいまシベリアのツンドラ上空にあって、皆様の命は凍死の危機にさらされかけております。
 わたしはとにかく、3枚のブランケットをアテンダントに要求し、まず、半袖Tシャツで眠りこけている良さんを、ブランケット2枚でぐるぐる巻きにした。もう1枚は自分で頭から被り、イスラム教徒の女性のようにしてみた。考えても見て欲しい。わたしの格好を。先程の3点セット、プラス、ブランケットである。
 しかし一瞬、ツララだらけになり、真っ白に凍りついた機内の様子が頭をかすめた。わたしは生き長らえて、全てを証言しなければ、ならないのだわ。
 しっかりしなくっちゃ。しっかりしなくっちゃ。

 良さんに肩をたたかれ、目を覚ましたわたしに、アテンダントが尋ねてきた。
「Mrs.SASAKI, ブレーク・ファーストのお飲み物は、何になさいますか?」  

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2007年04月08日

はっぴー つー ばげっじ



  朝霧に煙る倫敦。しかし、わたしたちが目指すはイングランド北部、スコットランドのスペイ川流域『MALT WHISKY TRAIL (モルト・ウイスキー・トレイル)』である。  スコットランドには100を超える蒸留所(ディストラリー)があり、スペイ川沿いにはその大多数が点在していて、春夏の間は、たいていの蒸留所が見学できる。モルト・ウイスキー・トレイルとは、日本なら、コスモス街道とか、フラワー・ロードとか、そういった感じで、まあ、ウヰスキー街道ということだ。
 空路で何通りかの入り方があるが、スコットランドの、どの都市に降り立っても、車で1時間~1時間30分もあれば、モルト・ウヰスキー・トレイルにぶつかり、いづれかの蒸留所のキルンを目に出来る。

 わたしたちは、東に位置するスコットランド第三の都市、アバディーンからのルートを選択した。早朝のヒースロー空港で、ブリティッシュ・エアウェイのローカル便へ、またもやトランジットである。トランクをピックアップ後、空港の隅っこの方へ10分も歩かされたチェックインカウンターで、 ブルーアイズの青年が、にっこり微笑んでわたしたちを迎えた。
「はっぴー つー ばげっじ?」
(はっ、?!)
(良さんわかった?)
(フジコサンは?)
(そりゃわたしたち、ハニームーンではないけれど、ハッピーではある)
「はっぴー つー ばげっじ?」
(状況からして、荷物の数を聞かれてるよね?)
(すごーーーく、なまってない?)

 わたしは、タモリ倶楽部の『空耳アワー』を連想した。彼とわたしたちの間には、口答での会話を成立させるために必要なもののうち、何かがひとつ欠如しているように想われた。彼はおもむろに、そのへんの書類を裏返すと、ツツツッ、と、ボールペンのお尻でこめかみを3度つついて、筆談の体勢をとった。
『以前、スコットランドに来たことがありますか?』
「いいえ、はじめてよ」
ツツツッ、それから彼は、細長い三角形と、小さな四角と、丸いアーチで組み合わされた、建物の絵を描いた。
「これは、なあに?」
『これはお城です。あなた方がこれから行かれるスコットランドには、たくさんの、それはそれはビューティフルなお城が点在するのです。ぜひ、カッスル・トレイルの標識を巡りなさい。良い旅を。』
ツツツッ。
(良さん、カッスル・トレイルだって・・・)
(ウヰスキー・トレイルの他に、古城廻りを目的とした、カッスル・トレイルなるものもあるんだね)

 スコットランドは、1707年までケルト民族の一派、スコット族の王国として独立していたそうで、いまなお、その名残が色濃く感じられるのだそうだ。そのクランの歴史を物語るのがタータンであり、バグパイプであって、未だにゲール語(スコットランド語)を話す人々もいるし、スコットランド紙幣も流通しているという。スコットランドでは、ポンド紙幣で買い物しても、おつりはスコットランド紙幣で返ってくるが、その紙幣は、ロンドン辺りでは使えないそうだ。どうも、想像以上にディープでローカルらしい。

 (だけど良さん、出会う人みんなと筆談なんてことは、ないよね?)
 (大丈夫。酒飲みは、世界を繋ぐのだ。きっと、解かり合えるよ)
 (そうだね)
 (そうだよ)  

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2007年04月21日

シンプル イズ ベスト

 アバディーンは、ロンドンに次いで英国第二位の生活水準の高い都市であり、花崗岩を用いて造られた、立派なお屋敷ばかりが並んでいるそうである。また、黒毛牛肉のステーキが美味なのはことに有名で、本場の『アンガスステーキ』と豊潤なスコッチウヰスキーを楽しまずしては、アバディーンに来た意味がないと、ガイドブックは勧告している。
 あぁ、けれどもわたしたちは、空港から一路、ウヰスキー・トレイルへまっしぐらなのだ。まずは、車で移動する場合の距離間を認識し、本日のB&B(ベット&ブレイク・ファースト)にチェックインすることが肝心である。

 レンタカーは日本からインターネットで予約してある。(日程と借りる場所が決まっているなら、日本で予約したほうが確実で、料金も割安。さらに、マニュアル車が主流でオートマチック車の数が限られているので、オートマチック車のほうが料金設定が高い)
 『Hertz』のカウンカーですんなりと手続きを済ませると、わたしたちには、「フォード」のメタリックスカイブルーの「フォーカス」が用意されていた。
 英国は日本と同じく左側通行で、道路や標識が整備されているうえ、なにしろあまりにも交通量が少ないので、自由気ままに自分のペースで運転できる。(とは、ドライバー良さんの感想)
 交差点には信号なんて無くて、常に時計回りの一方通行で進入し、目的の方向へ走り抜けるだけの、ロータリー式『ラウンドアバウト』が採用されている。進入時には、運転手同士が近距離でアイコンタクトしあうのみである。
(信号が無いって、なんて、素晴らしい!)
 さらに、モーターウェイ(高速道路)には、出入りのゲートも料金所も無い。ここからは高速で走行していいですよという、シンプルな定義のみである。
(高速料金を支払わないって、なんて、素晴らしい!)

 わたしたちは内陸に入る『A96』を北上する。
 ところであなたは、北海道の美瑛町に行かれたことがあるだろうか?青い空を背景に牧歌的な緑の丘が広がり、その美しさから、いまや、大人気の観光スポットであるが、トップシーズンの英国のカントリーサイドの美しさは、その美瑛町をエンドレスにつないで、電柱だの電線だのといった余計なものは排除して、夥しい数の牛と羊と、丹精こめたお庭つきの、可愛らしいカントリーハウスを点在させた感じである。どこをどう切り取っても、遠近のメリハリがある、壮大なパノラマの景観なのである。
 道路脇はすべて牧場である。いや、牧場の合間を縫うように道路が通っているということだ。もちろん、ガードレールも、ファームとの境目らしきものも見当たらない。
(ガードレールが無いって、美しい!)

 それにしても、日本では『口蹄疫』だ、『狂牛病』だと、あれだけ騒がれているのに、ここでは牛も羊も隔離されるどころか、サファリパークさながらで、数mの近距離で草を食んでいる牛と、たびたび目が合ってしまう。
 たぶん我々日本人が、お米に関するどんな問題を抱えたとしても、何とかそれを乗り越え、きっと、ずっと、お米を食べ続けるように、フランス人がフィロキセラ(葡萄の樹に付く害虫。過去に壊滅の危機に陥った事実がある)を克服して葡萄を守り、食卓からワインが消えることなく、欠かさず飲み続けたように、この土地の人々は、永遠に牛や羊と生活を共にし、保護し、ローストビーフとシェパーズパイを食べ続けるであろう。そこには、リスクがあるからと拒否するわけにはいかないだけの、大きな理由があるのだ。  

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2007年04月29日

ストラスアイラ

 『A96』が『A95』とぶつかる町が、Keith(キース)である。アバディーンから約57マイル(90Km)の距離だが、信号も渋滞もない道程は、ストレスを感じることなく心穏やかに移動できた。

 ここまで来れれば、今日の宿までは1時間もかからない筈で、むしろ、先を急ぐことは無い。さっそく、スペイサイドでもっとも古い、ストラスアイラ蒸留所に寄ってみることとなった。2つの美しいキルンが印象的なストラスアイラは「絵になる」ので、スコットランドのガイドブックの表紙などに、頻繁に用いられている。
 見学の申し込みをして、12人集まったところでツアーの開始となった。夏のヴァカンス時期であるから、人々の国籍は様々である。長いブロンドの髪をうしろでひとつに束ねた、妖精のように楚々とした女の子と、青いつなぎを着た男の子が、ガイドにつく。
 
 ここは、ジョージ・テイラー氏によって創業された1786年当初、ミルトン蒸留所と呼ばれていたが、(リネン産業で栄えた18世紀の、Milltown-「工場の町」意。)1905年にシーグラム社の傘下となる、シーバス・ブラザース社に買収されてから、ゲール語で「アイラ川が流れる広い谷間」という意味の『Strathishaストラスアイラ』と改名された。
 ストラスアイラでは、Chivas Regal(シーバスリーガル)の核となるシングルモルトを製造しているので、背の高いガラスのキャビネットには、シーバス兄弟に因んだ収蔵品が並び、その中には、皇太子殿下・美智子妃殿下の御成婚の際に寄贈したという、特注ボトルのレプリカもあった。
 つなぎの男の子は、醗酵槽の蓋にひょいと座ったり、ポットスティルに寄りかかったりしながら、製造工程の説明をする。変にかしこまったり、マニュアルめいたりしてなくて、(やっぱり、すごくなまっているけど)素のままの彼の言葉から、仕事に対しての情熱と誇りが感じられて、好感が持てる。

 ストラスアイラ12年の味わいは、泉の水のたおやかさに由来している。泉には『水の精伝説』があって、『謎の隠し味』が加味されているそうである。すがすがしいが華やかなブーケがあり、アルコールの厚みは、ガツンというよりはひたひたと広がる感じ。エレガントでありながら、ちょっぴりセクシー。ワインレッドのシルクのスリップドレスをはじめて身につけた、淑女のイメージ。ボトルもスクエアなスモークグリーンで、群を抜いた美しさである。
 良さんはさっそく、今晩の寝酒用にと『STRASTHISHA 12YEARS』を購入(ディストラリーだからといって、レア物が即時入手出来るわけではないらしい)。 わたしは、ストラスアイラの2つのキルンを描いた版画(2/60)を購入した。

 帰り際女の子に質問してみると、ここにはDizzy(ディジー=頭がくらくらする)という名のウヰスキー・キャットがいるとのことだが、猫はいつだって気まぐれなもの。お目には掛かれなかった。  

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2007年05月12日

ベンジン

 ストラスアイラをあとにして、Dufftown(ダフタウン)から『B9009』を10マイル南下、エイボン川とリベット川が合流するあたりに出ると、目の前が開け『THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)』が正面にあらわれた。宿泊先は、そのザ・グレンリベットの隣りにある。もう、敷地の一部と言っていいほどである。だって、ザ・グレンリベットを訪れる以外の、どんな理由があって、誰が『Minmore(ミンモア)』にわざわざ来るというのか。

『ミンモアハウス』http://www.minmorehousehotel.com/japanese.htmを選択したのは、観光案内のコメントに、「ザ・グレンリベットは、ここから徒歩2分です。素晴らしいスコティッシュ料理と、(当時は)100を超えるモルトウヰスキーが、貴方をお待ちしております」とあったからで、それを裏付けるように、『THE TASTE OF SCOTLAND』http://www.taste-of-scotland.com/にエントリーされていたからである。イギリスの食事は常に「美味しくないもの」の引き合いに出されるが、『THE TASE OF SCOTLAND』マークは、ミュシュランの星のようなもので、美味しい食事にありつけることが、それなりに保証されているのだ。

 芝生のとぎれた玉砂利の一角に車を寄せると、Lynne Janssen(リン・ジャンセン)が、ミンモアハウスのドアから顔を覗かせた。リンは、久しぶりにカントリーに帰省した姪夫婦を迎える、親戚の叔母さんのような親密さで、わたしたちを出迎えた。いつ日本を発ってきたんだとか、飛行機でどれぐらいかかったのかとか、さあさあ、早く荷物を部屋にあげて、お茶でも飲みなさいとか言ってくる。
 
 その時、弾のような勢いで、一匹の犬がリンの足元にかけ寄った。
「まぁ、ベンジン。おかえり。この子はベンジンよ。よろしくね。この子はねぇ、ウサギ狩りが趣味でね、姿が見えないときは、たいていウサギを追いかけてるのよ。ねぇ、ベンジン」
白地に茶と黒のまだら模様の猟犬ベンジンは、頭を撫でられて「そう。そう」とうなづいた。
 さて、荷物を降ろすために、良さんが車を移動させ始めると、ベンジンは「動くもの」に素早く反応し、特攻する、猟犬ならではの性格でもって、メタリックスカイブルーの車に興味を持ってしまった。
(!)
(リン叔母さんのベンジンを轢いてしまうようなことは、決して、あってはならない!『百害あって一利なし』である)わたしはベンジンの気を引こうと、とっさに、細長い布を振り回した。ベンジンの注意がそれ、ちらっとこちらを見たのと、自分が振り回していたものが何であるかに、ハッと気づいたのとは、まさに同時であった。が、わたしがそれを引っ込めるよりも、ベンジンの瞬発力のほうがはるかに上回っていた。
(うーん、さすが、犬である)と感心している場合ではない。
(うわぁっ。やっばい!)
恥ずかしながら、心の声は言葉遣いになど気を配る余裕など無く、そう叫んでいた。なぜならば、その細長い鮮明な芥子色の布は、良さんが大切に、大切にしている『カシミアのマフラー』だったのだから・・・。ベンジンは「ガジッ」とマフラーに喰らいつき、「やったぜ、ベイビー。俺って天才!」というふうに目をぐりぐりさせ、鼻をひくひくさせ、しっぽがちぎれんばかりにブラボーしている。マフラーの行方を案ずると、わたしはここでベンジンと綱引きをするのは得策ではないと判断した。もしかしたら、わたしがマフラーから手を放したら、動かなくなった布に興味を失って「やーめた。ぱふ」と、ベンジンも身を引くかもしれない。
 けれどもそこには、別の考えと、人格を持ったリン叔母さんがいた。リン叔母さんはきっとこう考えていたはずである。
「あぁ、ベンジンったら、なんてことしてるのだろう。お客様のカシミアのマフラーに、万が一のことがあったらなら、『百害あって、一利なし』じゃないの」
そして、やおらマフラーの端をつかんでひっぱったが、そこはベンジン。身をかわして、マフラーをくわえたまま走り出した。
「ベンジン。こら、ベンジン。それは、あなたの好きな『うさちゃん』とは違うのよ。放しなさい。(わたしにむかって)ああいうふわふわしたの、大好きなのよ。困っちゃうわね。ベンジン!ベーンジーン!!ベンジンッ!!!もう、このバカ犬!」
 女性二人に追い立てられ、罵られ、誰も手柄を誉めてくれないので、途方に暮れ始めたベンジンだったが、やっとのこと車を止め、運転席のドアを開いた良さんの姿をみつけ、ひらめいたのであろう。
(!)
(この、栄光をわかってくれるのは、このひとしかいない!)と。目に光が戻り、くわえたマフラーをはためかせ、ベンジンは運転席の隙間から助手席に廻りこみ、良さんにむかって、自分が捕らえた素晴らしい歯ざわりの、ふわふわした獲物『良さんのカシミアのマフラー』を、掲げ献じた。ハムレットの心境は誰にでも宿る。カシミアのマフラーを「がしがし」して、よだれまみれにしたことを叱るべきか、猟犬の自尊心を慮って(おもんばかって)、よくやったと、誉め称えるべきか・・・、しかし、良さんはどちらも選択できず、「くぅぅぅ」とうめき、身悶えながら、分析タイムを取ったのであった。
 いずれにしろベンジンは、任務完了という感じで胸を張り、大威張りで車から降りた。マフラーは、良さんの膝の上で「くたっ」、「よろっ」、「べとっ」、とはしているが、とにかく良さんの手元には戻ったわけである。
(あぁ。ごめんね。良さん)  

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2007年05月19日

ミンモアハウスディナー

 ミンモアハウスはB&Bでありながら、半径15Km内に町が無いので、夕食まで供出するオーベルジュ形式をとっている。午後8時少し前にウエィティングBarに入ると、ジャコビアン様式で設えられたインテリアの真ん中で、暖炉の炎がたおやかに揺れていた。赤いベルベットの影が、ここに集う人々のグラスや衣服の襞(ひだ)に、華やかに降りていく。
 わたしたちの気配を感じ取り、濃紺にピンストライプの三つ揃えのスーツを着込んだブリテンな紳士と、ロイヤルブルーのワンピースに身を包んだ婦人との御夫婦が、高尚な微笑で挨拶を求めてきた。わたしは、からだじゅうのエネルギーを瞳に集中し、顎を引き、口角をクイッと高めに持ち上げて、微笑をつくった。高尚な微笑なら『ローマの休日』で研究済みである。(けれど、眉も一緒にクイッと動かすと『風と共に去りぬ』のスカーレットになってしまうので、気をつけなければならない。と、森瑶子さんは言っていた)
 「あら、日本の方かしら?」との声に、奥のソファに視線を伸ばすと、わたしたちと同年代の日本人夫婦が立ち上がった。彼らはロンドン在住で、週末ごとにカントリーサイドに小旅行しているそうである。
 笑談をしながらアペリティフを楽しんでいると、ドアが開き、ベンジンを先頭に、シェフと、サーブの女の子が登場した。良さんは斜(はす)な角度をつけてベンジンを睨んだが、ベンジンはあくまでも涼しい顔ですましている。
 シェフは、リンの御主人で、若い時分にフランスで料理の修業をした経験があるという。ひととおり本日のディナーの説明を終えると、ぱんっ、と、ひとつ手を打って両腕を広げ、
「では今宵は、どうぞ僕の料理を心ゆくまで、堪能なさってください」と布告し、べンジンを従えて消えた。
 サーブの子が、料理を踏まえたうえでの飲みの物のオーダーを取る。ブロンドの髪をポニーテールに結って、ほっそりと背が高く、黒いセーターとパンツにベージュのエプロンをつけている姿は、なんとなくオードリーを彷彿とさせる。
 老夫婦はオーガニックの赤ワインをオーダーしたが、日本人夫婦は飲み物を取らなかった。
 さてわたしたちはまず、ワインセーラーがあるのかを尋ねてみた。
「ええ、あるわ」彼女の視線に力がこもる。
「一緒に来て。見てから決めるといいわ」(シュア、シュア。オフコース。である)
セラーの、独断と偏見に満ちたそのワインセレクトを眺めていると、御主人は間違いなくボルドー地方で修行を積んだに違いないという考察に辿り着く。なんたって左岸ばかりである。(ボルドー地方、ジロンド河の左岸には、グラン・ヴァンのシャトーが、キラ星の如く存在している)ヒューッと口笛を吹いて、スコットランドに着いてから、たくさん目にした羊にあやかって『ムートン』を開けてやろうかとも想ったけれど、マリアージュを考えて『ch. Brane Cantenzc 1998』にした。
「これにするわ。」わたしがワインを棚から引き抜くと、彼女は「Oh! グレートね」と、右手の親指を立てて賛成してくれた。

 夏の欧州は、緯度が高いほど白夜に近いわけで、各々が席に落ち着いたころに、やっと辺りが暮れはじめた。
 女の子は手際よくワインを抜栓し、うやうやしくグラスに注いだ。

*小麦胚芽のパン

*かぼちゃのポタージュスープ
かぼちゃの甘味、滋味深さを極限まで引き出すのに成功している。たっぷりの量であるにもかかわらず、決して重くなく匙がすすむ。これまで幾度となくかぼちゃのスープを食してきたけれど、ダントツである。ACマルゴーのやさしさと、ポタージュのリッチ感が相まって、スープでワインが飲めてしまう。

*鴨のソテー、ドゥミグラスソース、パッションフルーツとともに
鴨は1cmほどもの厚みでカットされていて、たっぷりのソースがかかっている、あくまでもジューシーで、そのエキスに喉が鳴り、肉片を呑み込んだ途端に、すぐに次の肉片に手が伸びてしまう。生のパッションフルーツをくずして、肉片に絡ませて食すと、その甘酸っぱさは、ワインが持つブルーベリーやフランボワーズのような甘い香りと果実味にぴったりで、通常では体験し難い、爽やかなマリアージュとなった。(ここまでで、見事にワイン1本を、するすると飲み終えた)  

*りんごのスフレ
なんてメニュウは、よっぽど自信がない限り出てこないものである。角が立つメレンゲそのままのふんわり感。きめ細やかな生地は、これ以上ないほどに空気を抱え込んでいる。そしてカルヴァドスの、鼻腔の奥をくすぐる酸味たっぷりの甘さ。熱さにやられながらも、口の中の皮がむけてがべろべろになっても、時間と競争するように食した。  

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2007年05月19日

100MALT WHISKY

 ディナーを終えて、観劇がはねた後のようなあるひとつの完結した満足感のまま我々はBarへ移動し、カウンターにたむろした。部屋へ戻るひとはいない。

 今晩のミンモアハウスに於ける日本人の割合から、バーテンダーに変身した御主人のビクターは、話題の糸口を「ジャパニーズ」に見い出し、日本の文化、伝統、料理について語り始めた。
 そして、そのうちに
「そうそう、そういえば、先日、日本のウヰスキーメーカーのひとが来たんだよ。これが、その時にプレゼントされたボトル。」と、とあるボトルを指差した。
「実は僕も日本のウヰスキーを持って来てるんだ・・・」良さんは部屋に戻り、『ニッカ余市原酒25年』をピックアップして来てカウンターの中央に置いた。

 シンプル過ぎるボトルに、はじめは皆、怪訝な顔をしていたが、果の地でウヰスキーづくりのノウハウを学び、まさに万年筆一本で、その技法を日本に持ち帰り、サントリーを経て独立し、余市にニッカを起こして、ウヰスキー造りを成功させた、竹鶴政孝のエピソードを紹介すると、一同の熱い眼差しは一点に集中した。いまやオーラを放ち、物語の真髄を成すこのボトルに、垂涎しない者はいない。
 
 酒飲みは、以心伝心。ビクターは7つのグラスを用意し、良さんとのアイコンタクトで了解をとると、ワンフィンガーづつの琥珀色の液体を注ぎ、皆の前にサーブした。一同は、全てをわきまえつつ、しかし、深刻な秘密を抱えたスパイみたいに、無言でティスティングする。対峙して得るオーガズムと余韻の長さは、ぴったりと正比例するものではないだろうか。ますます、言葉は必要でなくなるし、見つめあえば、暗号はすべて伝わる。時間と、愛と、夢をたっぷり含んだ液体を味わうことほど、エキセントリックな儀式は他に無い。
 
 わたしは部屋の隅のソファに離れて、スフレに使われていたカルヴァドスを舐めながら、ジャパニーズローカルクッキー『からからせんべい』http://www.rakuten.co.jp/shonai-kankobussankan/644206/644669/をベンジンに与え、「ウエイト」と「OK」ではなく「待て」と「よし」での調教を試みつつ、「日本~スコットランド友好、ウヰスキーを利く会」の様子を眺めていた。良さま、ここには貴方が、「100杯並べて、ティスティングするんだ」と豪語していた、憧れの 100 MALT WHISKY があるのだけれどな・・・往き付けるのかしら?
 
 グレンリヴェットの谷は、羊と、牛と、うさぎの、夢を食むような咀嚼と、穏やかな瞼に閉ざされて、どんどん世界から断絶されてゆくのであった。  

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2007年05月26日

イングリッシュ・ブレイク・ファースト

  外の明るさに自然に目覚めた。ベッドサイドのスダンドの灯りに引き寄せられて、小さな羽虫がたくさん死んでいる。一夜限り、何かを求めて集まり、たぶん適わず、短い命をまっとうしてしまった。小さいころに田舎でよく目にした光景だ。忘れかけていた、容赦ない自然の摂理のようなものを想い出す。

 身支度を整え、階下へ降りる。階段わきの野の花は取り替えられ、部屋の隅々に、グリーンをたっぷり含んだ朝の空気が取り込まれている。
「貴方たち、よく、眠れて?」
「ええ、とっても」
「それは何よりよ。ベンジンは、もう、うさぎ獲りに行っちゃったわ。(ウインク)さあ、ブレイク・ファーストの用意が出来ててよ。席につくといいわ」

 サーブの女の子が(彼女はこの季節のみ、住み込みでアルバイトをしているそうである。夏の菅平高原とか、冬の蔵王高原などにも同じようなシステムが有りますね)薬局の薬剤師が、薬の種類と効用について説明するときみたいに、ちょっとだけ命令を帯びた、語り含めるような話し方で、イングリッシュ・ブレイク・ファーストのメニューと、そのオーダーの仕方を説明してくれる。

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*オレンジジュースかアップルジュース

*シリアルとミルク
5~6種の様々なタイプが用意してあり、蜂蜜やドライフルーツなどを加えたりして、自分の好みにアレンジする。
 
*ヨーグルトとフルーツ
りんごなど、ごろんとそのまま籠に盛られているものもあれば、カットした盛り合わせや、シロップ漬け、フルーツポンチなどいろいろ。

ここまでのメニュウは、最低限、必ず用意されているものである。たいてい、ドアを入ってすぐのテーブルにあって、セルフサービス形式でいだだく。

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*エッグ
フライド(目玉焼き)、スクランブル、オムレツ、ボイルド(ゆで卵)、ポーチド

*ソーセージ(バンガーズ)
仔牛と豚のミンチに、たくさんのパン粉、ハーブが入ったソセージ。なぜに、この材料でこのようなものを作るのだろう。日本人の感覚でいうと、パン粉が多すぎて、ぶにょ、ぶにょしている。

*ブラックプディング
豚の血が入ってるので、黒くて、太いソーセージという感じ。輪切りになって出てくる。

*ベーコン
基本的に、畜産物の品質が良いので、シンプルな加工でじゅうぶん美味しい。カリカリに焼かれていても、厚めで、肉の味がしっかりしている。

*ベイクドトマト
 
*マッシュルームソテー

*トーストとバター、マーマレード
ブラウンブレッドの薄切りが、カリカリに焼かれ、二等辺三角形にカットされ、お決まりのホルダーに収まってサーブされる。

*パンケーキ

*ポットオブティー
ポットいっぱいの紅茶と、ミルクと、濃さを調整するためのお湯

以上が、基本的な定番メニュウ。B&Bの料金の中に含まれているものである。

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ほかに、特別に注文すれば、

*スモークサーモン

*キッパーズ(ニシンの燻製)

なども、別料金で味わえる。

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 ただし、これらは量的にフルでいただけるものではないので、食べたいものだけを組み合わせて、オーダーをしていく。
 スクランブルエッグと、サーモンと、マッシュルームを少しにパンケーキを2枚ください。とか、マッシュルーム入りオムレツに、プディングと、ベーコンと、ベイクドトマト、トーストは3枚で。というふうに。
 そのため、オーダーには時間がかかるし、ひとつぐらいは間違えるか、抜けちゃうこともあるけれど、短気で短足な日本のおじさんみたいに、空威張りに怒鳴ったりしてはいけません。ここは、そう、ジェントルマンの国なんですから。  

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2007年05月26日

THE GLENLIVET

 
  ミンモアハウスを後に『THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)』蒸留所へ。「グレンリベット」とは、ゲール語で「静かなる谷」という意味だという。(牛と、羊と、うさぎと、鴨と、アヒルしかいないんだから、当然である) しかし現在、『THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)』は、5つ星の観光施設(visitor attraction)なので、昼間には静寂を貫き、大型観光バスが何台も並ぶ。(那須高原の地ビールブルワリーに、社員旅行のバスが並ぶようなものですね)バスから降り立った御婦人が、わたしたちにフレンドリーな微笑をふりまく。
「モーニン。良いお天気ね。どちらからいらしたの?」
「モーニン、マダム。私たちは日本から来ました」
「まあ、にほんから」
「ええ、日本から」
たぶん彼女達は、日本が何処にあってどんな国なのか、まったくのところ、知っちゃいないのだ。大衡村の叔母さんが、スコットランドのことをなんにも知らないみたいに・・・。知らなくったて、彼女たちの生活には、何の支障も無いものね。

 ツアーは10人位が集まったところで、約15分おきにスタートする。我々についたデニスは「当たり」のガイドだった。英語がシンプルでわかり易く、アドリブのジョークを取り入れるのがうまい。恰幅のいい身体を大きく揺さぶりながら、リードしてゆく。粉砕の工程では、お決まりの口上が述べられる。
「えー、この容器に入ったものはなんだか解かる?みんなが毎朝で食べている・・・、そう、コーンフレークスさ。(ウインク)まあ、ちょっと、食べてみてくれ」
みんなは、それは嘘だって解っているけど、まあ、付き合ってやろうかという感じで、つぶれたスモーキーな大麦をつまむ。大人のジョークを理解しえない、純粋な少女だけが、なんかヘンだよと、顔をしかめてママンを見上げた。
 貯蔵樽は5~6mの高さにまで積み上げられてる。フォークリフトで上げ下ろしするそうだ。デニスが遠い目をして話し始めた。
「スペイサイドにはたくさんの蒸留所があるから、天使に分け前されるべきウイスキーは、そりゃもうたくさんあるんだ。(何年も樽熟成をさせるうちに、中のアルコールが少しずつ蒸発していく。それを、天使の分け前、エンジェルス・シェアという)俺が想うに、ここには世界中の天使が、おおかた集まってきてるのさ。いわば天使に愛された場所ってわけだ。けれど想像してみてくれ。この樽の量だ。いくら天使だって、飲んだくれて、アルコール中毒になってしまうよな。ところで、天使が見えるかい?天使は心の綺麗な人にしか見えないのさ。ほらここにも、ほらそこにも、君の後ろにもいる。(ウインク)」少女は肩越しに後ろを振り返って、もじもじし、天使が見えない不安の瞳で、ママンに助けを求めるのだった。

 ティスティングは『THE GLENLIVET 12years』、昨夜『鳥福』で空いてしまった、あのウヰスキーである。
 輝く金色。香りからは、ざくろ、秋の赤い木の実をつけた枝や、紅葉した木々を連想する。シャープに飛び込んでくる切れ味の奥に、オレンジ色や朱色の花の持つ情熱感や、エレガントさが潜んでいて、余韻がとても長い。オレンジピールをチョコレートでコーティングしたお菓子と合いそう。

 
 100年以上続いた密造酒時代が終わりを告げ、1824年にザ・グレンリベットが政府公認の第一号蒸留所となった時、創業者のジョージ&J.G.スミスは、密造仲間から裏切り者呼ばわりされ、命を狙われるようになってしまったそうである。エキシヴィジョンには、当時、彼が護身用に身に付けていたピストルが展示されていた。どうも、牧歌的な景色とはうらはらに、ザ・グレンリベット蒸留所をめぐる騒々しさには、今も昔も変わりがないのであろうか。
http://www.theglenlivet.jp/introduction/history/  

Posted by 夢大多亭 at 11:28Comments(2)TrackBack(0)